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2009年8月15日 (土)

お盆です

13日から私も盆休みでのんびりしています。この時期は先祖を思い偲ぶ日であるとともに
今日15日は終戦記念日です。昨日は西大谷本廟へ一家で墓参りに行きましたが、いままで経験したことの無い人の多さでした。これも「高速1000円」の効果か?観光旅行やグルメに明け暮れる生活から、人々の志向が変わってきているのなら、今度の大不況も意義があるといえますね。13日の京都新聞夕刊一面に、私の友人のお姉さん(故人)の書き残された集団疎開の絵日記が写真入で大きく取り上げられていました。毎日の献立を見て「きび御飯とキュウリやナスの漬物」だけの日が20日続いていることに記者は驚いているようです。我々戦争経験者の記憶が衰えてきてる今貴重な資料です。 私のブログでも書いたことがあります。あの悲惨な時代がどうして生まれたかを考えると、戦争を始めたのも「兵隊さん」ではなく職業軍人。自分たちの責任を追及される恐怖から、終戦をどんどん先延ばしにして、戦地の悲劇、沖縄の悲劇、原爆の悲劇を生み出したのは軍事官僚です。000140_2 この辺りのことはきっちりと総括すべきでしょう。私の親父の戦地からの我々兄弟宛のハガキが残っています。母親宛のハガキは拡大鏡なしではとても読めないようなまことに細かい字が連なっています。 数少ない連絡の機会に書きたい事が一杯あったのでしょう。 当然ながら中尉殿の検閲済みの軍事郵便です。あの時代を経て生まれたわが国の憲法は私は世界の宝であり、世界の規範であると思います。この憲法を旗印にして世界をリードすべきでしょう。三年前のお盆休みにブログを始めましたが、もともと力弱い記憶の混濁が進んでいます。よき節目なので今回をもって終わります。 つまらぬ、つたない書きなぐりに永らく御付き合い下さいました。多くの皆さんから頂いた数々の暖かいお言葉は私の生涯の宝です。誠に有難うございました。

2009年8月11日 (火)

富士を眺めて

恒例の東京内幸町にあらず、八月は御殿場のシャレーで富士を眺めながらの「納涼一水会」の情報。日程は嬉しい土日。 押しかけ参加しました。 オーナーの長期滞在のお部屋で飲み、食べ、談論。 オーナーご夫婦の「これぞもてなし」といえる、心と体を総動員したようなおもてなしに、参加四人はただ感謝感激。 ご夫婦を含めての団欒、談論は楽しすぎて気がつけば深夜。折角遠路京都から来るのだからもう一泊いかがとのオーナー氏の事前のお言葉に嬉しくも抗し難く、仕事を一日サボりました。 一緒にどうかと呼びかけたいつもの関東在ゼミ仲間が「嬉しいオッファー」とすぐ参加の返事。明くる日もゼミ仲間と一緒におもてなしに預かりました。氏はゼミの一年先輩ですが、50年ぶり(当然奥様とは初対面)の人もありましたが、時は瞬時に戻り、心は瞬時にして溶け込む風景を目のあたりにしました。Img_190140 二日にわたってご面倒を平気でお掛けする私の厚かましさも相当なものですが、ただただImg_191140 楽しさだけを顔に表し、また深夜まで一緒に飲み、食べ、馬鹿話に加わっていただいたご夫婦の心の温かさは相当なものです。長尾峠にあり御殿場と箱根の真ん中。ここから眺める富士の秀麗は前にも書きました。涼しいこともまたこの上なし。家族や友人達と度々お邪魔したいと思っています。写真を二つ添付します。一つは朝5時頃。一つはこの雲が出れば明日の天気は悪い(オーナー情報)との夕刻。たっぷり飲んでぐっすり寝込んで、目覚めにTVをつけたら全く見知らぬ台風がいつの間にか生まれ、大雨、洪水警報が出ていました。箱根観光どころではありません。 河川増水による新幹線立ち止まりの恐れもあり早々に退散。関東組も50キロ制限の東名を帰りました。私にとって何時までも心に残る感動の二日間でした。ここに言うシャレーとはオーナー諸氏の共有別荘です。紹介さえあれば極めて格安に利用できます。おいしいレストランがあります。一泊でも数泊でも長期でもOK.ペット連れも可能です。今朝起きてテレビを見て吃驚しました。忘れかけていたあの「東海地震」を思い起こさせてくれました。一日違いで新幹線運休などの目にあわなかったのは幸運でした。

2009年8月 8日 (土)

客を上げる

島原には置家:輪違屋と揚家:角屋が今尚残っています。輪違屋は今も料理屋として営業中ですが、角屋は今は美術館になっています。もともと置家とは太夫さんを抱えて置いている家で、客をとる揚家に太夫さんが出張る仕組みになっていました。主な宴会室は二階にあります。大事なお客さんは上へ上げるのです。普通の商家でもお客さんを「おあがりやす」といって二階に招きます。客室はなぜか二階です。家の中で一番大事な部屋で、しつらImg_189040 えにも凝っています。Img_188240 庭も二階からの眺めを十分に考慮して造られている筈です。今でも訪なえば二階に通される家もありますが、我家では今二階はほぼ物置き場と化しています。残し屋さんの家内はそれでもこの家には収納場がないと文句たらたらです。私の知る限りでは、私の結婚に際して、仲人さんを二階へお通ししたのが最後です。今はお客さんは居間に通って貰います。庭が見えるので客室兼用です。さてしたがって、二階の客間には家の中で最高の銘木が使われています。このブログも京の町家暮らしのこもごもも書いてきましたので、最後にこの部屋の違い棚の写真を撮ってみました。違い棚とは言いじょう、違いなしの一枚板です。ガラクタ荷物を横に退けながらヤット撮影しました。ついでながら玄関庭にある消防ホース収納箱の写真も撮りました。夏の大掃除(かつての風物詩でしたね)と年末の漆喰洗いには毎年取り出して使っていました。いざという時のための点検作業でもありました。 今は使っていません。思えば消え去った事柄が多いのに驚きますが、今若人達がこういうものを掘り起こし、日本文化を考え直そうとの動きが各地にあります。あまりにも行き過ぎた合理主義、効率一辺倒を見直して、今後の日本のあり方を真剣に考えていただきたいと願います。しかしなんでも過去に帰るような考えには組しえません。新しい時代の新しい日本国を考えていただきたいと思います。今日はこれから、非日常を求めて、新幹線上りに乗って「東くだり」です。うきうき気分です。

2009年8月 4日 (火)

はや葉月

梅雨空のまま8月を迎え,昨日ヤット梅雨明けとなりました。祇園祭の終わりともに、隣の学区では時代祭りの幟が林立しています。今年「徳川上使列」の当番なのでしょう。 一日は午後に雨が上がったので、孫達を新生堀川のせせらぎに連れて行きました。せいぜいくるぶしの少し上辺りまでの水深なので、水遊び、川歩きにもってこいです。 親達も安心です。夕方からは家内の古希誕生祝いでした。鱧と松茸の汁物、鱧の落とし、鱧寿司、鱧の天麩羅等々の鱧づくし懐石でした。やはり京の夏は鱧に尽きます。孫が四人も揃うと誠に楽しい誕生祝いになります。遅くまでにぎやかでした。この夕べ西本願寺境内で行われる盆踊りや、Img_188540 庭での花火などの楽しみを実現できぬまま大阪の孫達は帰りました。夫婦ともさしImg_188640 たる大病もせず(ボケ、ツンボと罵り合ってますが)70の年を迎え、孫達との笑いの渦中にいられるのは幸せな事です。二日は雨が上がったので東寺へ行きました。近くで見る五重の塔の高さや、仏像の数や大きさに感じ入っていたのかどうかは??です。 池で見る亀の甲羅干しの方が面白いようです。 21日の縁日(弘法さん)のほかに、今は毎月の初めに骨董市が開かれていて、多くのテントが並んでいました。真夏というのに、駐車場に車多く、庭園や骨董市にも人が大勢いました。外人さんが多いのに吃驚します。観光京都は今は夏枯れ無しのようです。9月始めに楽しむ予定の貴船の川床料理を予約しようにもなかなか電話が繋がりません。 時節柄極めて盛況のようです。午後大阪一家が帰るのを見送った後、恒例十五会の納涼ビール。  とは言いながら、皆酒量が減っているので、懐石料理の普通の宴席に今はなります。賑やか事は、年をとっても昔と変わらないものですね。思えば古い付き合いです。何時のころからか幹事回り持ちで、年一回の一泊貸切バス旅行をするようになりましたが、北は北海道から南は鹿児島までいろんなところに連れてもらいました。私が幹事のときに行った伊豆天城も好評でした。宿「天城荘」には多くの露天風呂があります。 その一つ「洞窟風呂」は今三大秘境湯に数えられているのにいつか驚いた事があります。鉱山跡に温泉を導いているそうです。今日は仕事で出かけましたが、途中路肩に37度の表示がありました。嫌になりますね。

2009年7月31日 (金)

もうしますー

昨日から大阪の孫達が来ていて賑やかです。四人も一緒だと、賑やかを通りこして、どの部屋も散らかり、荒れ放題です。ピアノ、本読み、トランプなど静かに遊んでいるときもありますが、屋外と同じように室内でほたえまくったりもします。今一番「ワルサ」が多いのが男の子です。引き出しから放り出す、所構わず書きまくる、本やCDを棚から引っ張り出す、紙は破り捨てる;;等々したい放題です。よく言われますが、男の子は女の子に比べどことはなしにひょうきんなので、怒る前に笑ってしまいます。パソコンのキーボード攻撃など困る狼藉の時は、腕をつねり「もうしません」と反復を待ちます。 返ってくる答えが、にたにたしながらの「もうしますー」。だんだん強くつねると、最後には堪えきれず「もうしません」。 しかし手を離せばもう又いたずら三昧。本気で叱る親に比べて、爺たちは叱りの限度を見透かされています。実は明日が家内の古希誕生日です。娘、息子夫婦達が設営して京都で祝宴を開いてくれます。それにかけて孫達が早めに泊まりに来ている次第です。この暑さ、この不況= あほらしくて商売やってられん気分です。商売をサボって、孫達とどこか涼しいところへ遊びに行きたい誘惑に駆られます。Img_182840 写真は私の好きな和田の海です。雨模様で人が少ない時の写真です。Img_183840 若狭富士(青葉山)は綺麗な姿をしています。この海が遠浅で、小さい子供達に持ってこい:がお解りいただけると思います。 孫達の花火風景もUPしてみました。浜での花火は見ているだけで心豊かになります。 ビールがあれば言うことなしです。早朝浜に出ると、多くの土地の人がゴミ拾いをされていました。「日本の海水浴場百選」は伊達ではありません。さて翻って、わが家族のみにあらず、子供や孫の世代にわが日本国はどんな未来を用意してくれているのでしょうか。選挙を控えての政策なるものが出てきています。 どれもこれも目先のばら撒きONLY。財源は国債か消費税。こんなまつりごとなら誰でも出来ます。政治家と言われたいのなら、もう少し未来を見据えて、真剣に考えるべきでしょう。

2009年7月27日 (月)

変調海水浴

25日(土)朝出発で、今年もみんなで若狭和田浜へ。天気予報はよくなく、道中すでに前の見えない位の豪雨にも遭遇したが、旅館に着くころには晴れ上がって、旅館の主人も見事な晴れ男ぶりにびっくりしていました。 早速浜でテーブル、パラソル、ミニテントを設営し、昼食。各自道の駅などでGETしてきたのを賞味して、後すぐ水遊び。二歳の孫も水を怖がらず、みなキャッキャッと遊んでいました。しかし残念ながら、予報通りの雨が降り出し、濡れたまま次の晴れ間を待つわけにもいかず、この日の遊泳を断念。 夕食前に子鯵釣りに出かけました。なかなかの釣果にみな大喜び。 撒き餌もせず、餌もつけずに、サビキセットだけで釣れるので、子供向きです。恒例;夜は浜での花火。Img_184840  度々話に聞いている蟹採りをしたいので、明日朝頑張って早く起きると上の孫。 打ち合わせた6時に起こされて浜に出ました。 大きくなればどんな蟹になるのか知りませんが、夜に海から上がり、波のかからない辺りに写真のような穴を掘って一夜を過ごします。 あくる朝は又海に帰っていきます。なかなか深い穴です。穴に沿って掘っていくと小さい蟹が驚いて飛び出してきます。ところがこの朝はすでにもぬけの空穴ばかり。 私は何回と無く経験してますが、そんなに早起きをした覚えが無く、訝って宿の主人に聞いたら、日によりますとのこと。 おそらく月の満ち干きによるのでしょう。朝の晴れ間は少しで、皆が泳ぎ始めて1時間足らずで又土砂降りになりました。少し待てばやむのは分かっていてもこう激しくては終了のやむなし。 さて撤収が大難事。パラソルの下に子供達を入れて先ずは浜茶屋へ。 暖かいうどんを口に入れて、今度は宿へ。なんといってもここは幅の広い砂浜で有名。 女子供全員の撤収作業は大変でした。Img_185440 パパ達は濡れついでと、雨中の施設撤収作業でした。すぐ風呂に入れるべく、宿へ引き上げる時、先ずはと、男の孫を抱いたママと下の孫二人をパラソルに入れましたが、後ろに廻った孫二人が命令通り、私の水泳パンツをしっかり掴んでいるうちに、おじいちゃんのお尻丸見えと嬉しがり、挙句は前まで露出寸前。 パラソルは両手でしっかり握らねばならないので声で叱るしか方法なし。 珍妙な格好で宿にたどりつきました。昼食を摂りに、小浜のフィッシャーマンズワーフへ出かけ、その後「蘇洞門めぐり」の船にのりました。甲板に上がった孫達も風、ゆれに驚きながらも、荒れる海を走り、水しぶきを跳ね上げる快速艇に満足したようです。本来梅雨明けの快適海水浴の筈が、各地を襲った豪雨と嵐に私達も遭遇しましたが、何か何時までも心に残るような体験を皆が味わった貴重な日日でもありました。

2009年7月23日 (木)

賀茂族と出雲族

20日の朝十時からNHKで「京都葵祭り 千年続く神事のすべて」という番組がありました。
関西だけでなく全国放送だったかと思うので、見られた方も多いでしょう。上賀茂神社と
下賀茂神社はやはり賀茂一族の神社だと改めて認識しました。一族の皆さんが千年前からの神事を昔と何変わらないように粛々と行われているのに驚きました。桓武天皇の平安京遷都の前に、京都には秦、賀茂、出雲族が住んでいたようです。広隆寺を建てた秦河勝で有名な秦一族は太秦辺りを支配した渡来人です。 広隆寺の祭りには秦、旗、羽田、波多など秦一族の有名人も全国から集参するのをこれもかつてTVで見たことがあります。 賀茂族と出雲族は土着民だそうです。 賀茂族の住んでいたのは両神社の辺りとは当然想像がつきますが、出雲族が住んでいたのは愛宕郡といわれます。愛宕郡とは八坂神社の
東一帯だったそうです。しかし八坂神社とも、地理的に正反対の愛宕神社とも関係あるようには聞いたことがありません。山陰の出雲神社とも関係は無いでしょう。 しかしやはり千年の歴史は連綿と続き、家系の連続がちゃんと認識されているようです。先だって、友人が初めてお会いした奥様を「出雲族ですねん」と紹介したのには驚かされました。我々のような一般家庭では百年前はともかく、Img_182640 二百年前となれば霞のかなたです。いわば新参者の天皇家が賀茂族に挨拶に出向く様が、神事の一つになっていることをこの番組で知りました。古代からの連綿と続く伝承を持っている氏族は日本全国にたくさんあるのでしょうね。
さて何回も書いている黄レンゲショウマも京都の気候に少しなじんだのか、今年は新しい茎が多く出てきて、又蕾も一杯ついています。しかし草全体に元気が無く、しおれ気味なのが気になります。暑さに負けず今年こそ開花を期待しています。暑さで弱ったわが心身の
癒しに今年も、25&26と若狭の海に浸かる予定ですが、今頃になって梅雨本番的気候になってきていて、天気が心配です。

2009年7月20日 (月)

京都ル-ツの老舗

堺町夷川にキンシ正宗のル-ツの酒蔵が「キンシ正宗堀野記念館」として残っていて、地ビ-ルブ-ムが始まった頃に、この酒蔵でも開発地ビ-ルが生まれ、私も度々訪れました。その酒蔵の壁に貼ってある町内の古地図に「白木屋」が書かれています。「白木屋」(後の東急百貨店)のル-ツです。高島屋は烏丸松原で木綿商として生まれ、戦後も其処にありました。大丸は伏見区で呉服商として生まれたそうです。 三井呉服店=三越も江戸での創業ながら京都で始めた両替商としての財力が後の三井財閥の基礎となったそうです。京都には確か800年を越えるほどの昆布やさんなど数百年の老舗がたくさんあります。時勢に合わせて方向転換したところもあり、昔から殆ど業態の変わっていないところもあります。百年の老舗などは数え切れないでしょう。 我家も約140年になります。しかし私は、永きが故に尊しとは思えません。京都に限らずいわゆる老舗の中には、商売の存続を第一にし、その元となる家庭というものをないがしろにしているような傾向も見られます。 男の子供には後を継がせず、跡取りは婿養子に限ると決めたり、跡継ぎが商売に口を出して、素人商法で店が傾くよりは、放蕩三昧でお金を使ってくれるほうがありがたいとか。 お茶屋さんの上得意にはこういう「ぼんぼん」が多かったのでしょう。番頭さんや、分家さんImg_182340 、別家さんたちの「主家大事」からくる悲喜劇を私もたくさん見聞きしました。 私も仮にも老舗の跡継ぎになりましたが、老舗も普通の家庭;基本は家庭の円満にこそある。と思いそのように動いてきました。「継続は力なり」は確かに真理ですが、それも程度問題です。人間性を無視したような家訓やしきたりを紹介し、したり顔で非人間的経営論を言うエセ評論家は糞食らえです。祇園祭りはまだ続いています。写真は15日のものですが、あの辺りの商家の祭り風景でしょう。表の道から覗き見できるのは祭りならこそです。

2009年7月16日 (木)

新町の変貌

宵山の混雑を避けたつもりで、昨夕歩きました。仕事を終えてから、高島屋で買い物をしていた家内と落ち合い、新京極を北進。 三条寺町の「田毎」で蕎麦を食べて、姉小路を西へ。「新町」の宵山風情を楽しむつもりが、Img_181740 手前の烏丸まで来ると既にただならぬ気配。
屋台特有の臭いが溢れ、人、人、人でした。狭い新町通りも両側に屋台が並び、人が溢れ
前へなかなか進めません。かつてのように商家に屏風が飾られているのかも定かならず、
ただただ無理やり前へ進むことのみに専念する始末。挙句は「北向き一方通行にご協力ください」と警察官に遮られ、進路変更。ある商家らしい家で、舞妓さんや芸妓さんも加わっての和やかな集いの様を覗き見られたこと、写真の松坂屋さんが例年通り、屏風と家宝を展示されていたことが汗と疲れの代償でした。京都とは無関係の松坂屋さんが昔の京都を色濃く残されているのに比べ、新町は死んだと思えるほどの変貌を見ました。 町家保存の名のもとにでしょうが、白い壁の家に変身し、小間物屋さんや食べ物やさんになっているところが多いのに吃驚しました。昼間に歩いたらどんな新町になっているのか、想像するだけで嫌になります。松坂屋さんとはあの松坂屋さんの京都での仕入れ本部として生まれた店のようです。 京都は白木屋、三越、高島屋、大丸等の発祥地でもあります。こんな事と私の「老舗論」をまた書きます。

2009年7月12日 (日)

町衆

来週の日曜日には、小学校で「親子三代フェスティバル」なる催しがあります。毎年ある行事で、自治連合会やPTAなどの主催です。いわばコミュニティ-主催です。今年は小学校140周年記念とチラシにも書いてありますが、淳風小学校が出来て140年、下京区が出来て130年、京都市が出来て120年の節目の年です。あの動乱の幕末の頃に、町衆が力を出し合って創った寺小屋が学校の出発点です。国の未来は子供達にかかっていると、取り組んだのでしょう。この町衆の伝統がこの地域にはいまだに続いているように感じます。今また京都は祇園祭一色の季節ですが、この祭りも疫病を鎮めるのを念じて町衆が始めた祭りだそうです。さて今、自民党政治が終わり、民主党が取って代わる勢いですが、Img_181140 民主党が政権をとってもそうたやすく官僚支配を打ち砕く事は難しく、政権投げ出しもありでしょう。そのあと又自民、官僚政治に戻ったのでは元も子もなし。 心ある自民、民主などの勢力が集まり、本格的な脱官僚の政党が生まれることを期待します。グロ-バル主義の馬鹿らしさが露呈した今、コミュニティ-時代が始まろうとの期待が私にはあります。コミュニティ-時代とは町衆の時代です。 先ずは税金を十分の一くらいに減らして、地域の運営は地域に任せてみればいいでしょう。真夏の白昼夢も系統だった理論の組み立てがあれば正夢たらん。 写真の三階建ては今日日曜日は戸が閉まっていますが、今尚現役のタバコ屋さんです。

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