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2008年12月31日 (水)

大晦日

暮れの掃除等、年末の仕事は手抜きながら何とか済まし、一種の達成感に浸りながら焼酎。の筈が、まだまだ仕事の残っている家内から、数の子の薄皮むきの仕事を命じられました。根のいる仕事です。いつも一緒にいるので、家内のやる事は大体知っているつもりでしたが、こんな仕事も有るのに始めて気が付きました。女の仕事は目の届かないところで細かい作業が待っているものです。この時間になっても、祝い膳やお屠蘇セットが出ていないので、不思議に思い、Img_141740 訊ねたらなんと完全に頭から抜けていたようです。手伝って取り出しました。さて大晦日の仕事は去年に書いたと思いますが、お餅やさんから届いた青海苔の餅の片栗粉を小さなブラシで一つずつ落としとるのが案外時間のかかる仕事なんです。写真を見てなんだこれはと驚かれる方もあるかと思いますので一応説明します。青海苔のウル餅はまる餅がお雑煮用。 伸し餅は焼いて食べるためのものです。前にも書きましたが、このまる餅が白味噌にマッチ。 焼いた餅も二つほど茶碗にいれて、上からお茶をかけて食べますが、私的には絶品です。 家族も皆そのようです。五分の一は弟に頼まれたものです。近くではこんな面倒な餅は作ってもらえないので、こちらに頼み、わざわざ遠路貰いに来ます。普通のまる餅は、大きいのはお寺へのお供え用。我家の鏡餅はあとの処理が大変なので、これ以上小さくしたら、三宝と釣り合いが取れないほど小さくしています。後の六組のセットは仏さん用や、神さん用です。店に飾るのも今はこれです。橙も乗らないので、商売も代々続かない訳になりますが、是で良しです。離れを含めて家族で食べきるには是が限度の大きさです。今年の餅をオカキ用に切って干してあったのが、大掃除で見つかり、急遽焼いて砂糖醤油でまぶしたのが孫に好評です。今 除夜の鐘の一時間ほど前です。 皆様どうぞ良き新年をお迎えください。

2008年12月29日 (月)

年末大掃除

26日が仕事の最終日。27日から休みなので今年は家の掃除をする時間がたっぷりあると思いきや、咽喉の奥が痛くなり、本格的な風邪になって孫に移さぬよう、用心を採って27日は寝て過ごしました。昨今は休みが多いので仕事の段取りが進まず、終盤に無理をした所為でしょう。26日はこの忙しさの中、なんと税務申告廻り。 いわゆる予定申告です。税務署、府税事務所、市税事務所の三箇所に行くだけで時間がとられます。駐車が難しいので二人で出かけることになります。ちゃんと計算し、印字して送られてきた書類にこちらのハンコを押して提出し、先方の受け取り印を貰うだけです。糞忙しいさなか、この時間の無駄は無性に腹がたちます。お役所仕事の典型です。写真は渡り廊下の天井をはたく為に、Img_140840 すだれを取り外した景色です。すだれも洗って掛け直し、手水鉢の青竹の勺と勺台も新しくなると、気分一新です。正月気分になります。我家には大きさが一センチほどの蜘蛛が家の中を夏場よく這い回っています。座敷にも出ます。孫たちもなれてしまっています。おそらくこの蜘蛛の張った巣と思われる白い糸の塊がこの天井に沢山出来ます。埃と共に、これをはたき落とすのが目的です。我家ではいまだに「はたき」を重宝しています。 「はたき」を手製するのはお手の物です。座敷等の掃除には、化学雑巾とかと、はたきを併用しています。当然ながら拭き掃除は布雑巾が働き頭です。白木というものは、拭き洗わずに放っておくと茶色になります。なおも放っておくと、どぎつい紫色になります。こうなると雑巾は一拭きするだけで使用不能になります。水を入れ換え、入れ換えてゆすいでも、ゆすいでもバケツの水はあまりきれいになりません。どぎつい紫色の灰汁も、二三度拭くととれて、おとなしい茶色になります。これで御の字です。なおも拭き込めば白くなるのでしょうが、洗った後が感じられ、清潔感があればそれで十分です。たまにはこの状態でニスでも塗ってしまいたい気にもなりますが、いかに色黒くなっても、生の白木の味が好きです。 灰汁が出るのは白木が未だ生きている証でしょう。

2008年12月25日 (木)

デコパ-ジュ

最初に”訂正してお詫び申し上げます”。 先日のブログの花は「一人静」にあらずと、花に詳しい友人から早速連絡を貰いました。家内が通販で買って植えたようですが、その際の説明書を読んでみると、「一人静」は秋になると枯れてしまい、春に又芽を出すそうです。
枯れたその場所から雑草が生え出したのでしょう。 私の勘もたいしたものです。22日ゆず風呂に入り、23日は離れのクリスマスイブに呼ばれて楽しみました。ぐったりしていた孫も大分元気になりました。この不景気で今年は、我家流に家で楽しむ人も多いようですが、私は、クリスマスといい、誕生祝いといい家で静かに楽しむのが一番味わいがあると思います。Img_140540 さて表題のデコパ-ジュ談義です。家内が親しい友人からデコパ-ジュの飾り羽子板を貰いました。見るだけで正月気分になります。もう一つは、私の初孫の写真を
使って、デコパ-ジュの飾り物にしていただいたものです。 もう六年程前の事です。 こちらは私の女友達(高校のクラスメイト)の作品です。お二人ともこの道のオ-ソリティです。デコパ-ジュとシャドウボックスの素晴らしい作品を観たり、頂いたりしています。デコパ-ジュとは木とかガラス材の上に紙や布を置き、漆のような糊?を漆細工のように何重にも置き重ねて造ったものと私は理解しています。浮世絵が欧州の絵画に大なる影響を与えたことは皆さんもご存知の通り。ガラス工芸然り。私の乏しい知識によればデコパ-ジュも元をたどれば日本の芸術:漆工芸です。高台寺蒔絵などの漆工芸品は、その繊細さにおいて世界に燦たる物と私は思います。千年余に及ぶ日本芸術と共に、千年余に及ぶ日本の生き方に日本人はもっと誇り持つべしと思います。いわば秩序と調和です。しかし今の官僚制の馬鹿らしい秩序を、まずぶっ潰すのが先決ではあります。羽子板飾りはやはり正月のもの。今回は割愛し、新春にUPしましょう。

2008年12月22日 (月)

京の底冷え

20日:法事の後でご馳走にあずかった料亭「粟田山荘」の庭に、色鮮やかなもみじの木
が一本残っていました。同じ庭の中でも枯れ具合がまちまちですが、大半は勿論枯れ散っていて、当然ながら冬の庭でした。21日は終い弘法。 今年は日曜日なので出向いて苔でも買って庭の補修をとも思いましたが、今年は風邪が大流行とか。貰ってきて孫に移しては大変と取りやめました。 実は20日夜、下の孫が40度の高熱でぐったりしているので、休日専用の診療所へ行きました。幼児を連れて多くの家族が来ていました。インフルエンザの心配は無いとの事で少し安心。忘年会?でたっぷり飲んで帰ってきた息子の代わりに私が運転しました。二世代が同じ敷地にいると、お互いに移しあうのか、誰かが風邪気味の日々です。 外出から帰った時は、手洗いとうがい!!と息子にきつく言われますが、
昔人間にして、ずぼら人間にはなかなか実行が難しい事です。 風邪といえば、我家の構造自体が風邪をひきやすくしている事に最近気がつきました。夫婦とも風邪は治っているのに咳がよく出て困っていました。特に家内は、夜咳き込んで寝られないほどでした。新聞で「咳ぜんそく」なる病のことが書いてあり、療法としての部屋暖房と乾燥対策をしたら、明くる日から嘘のように咳が止まりました。さて、部屋の暖房はエヤコンに頼りましたが、夜の外気が冷たい日は、寒くてなかなか寝付かれず、少し暖かい日は布団を蹴飛ばすほど暑くて、これまた寝にくい事です。 エヤコン暖房の温度設定は23度に決めていて、毎日部屋の温度は変わりない筈なのに。畳の下は板一枚だけなので、畳がたっぷりと外の冷気を吸い込んでいるようです。 一階の下は勿論縁の下ですが、二階の畳の下も外気がよく通る様になっています。材木が湿気で腐らないようにとの配慮から来ている構造だとは思いますが、京の底冷えを室内まで持ち込んでいることに今まで気が付きませんでした。こImg_138840 の年になると、寒さに弱くなって来ていますので、電気毛布を一応使う態勢にはしていますが、これからはエヤコンと電気毛布との兼ね合いに苦労しそうです。写真はいつの間にか我が庭に居ついた「一人静」です。雑草かと思いきや、家内が植えたものだそうです。雑草はすぐ蔓延るので困りますが、大体花は小さくて可愛いものです。 「一人静」もその類ではあります。話が戻りますが、終い弘法へ行った近所の人がぼやいていました。 まったくひと、人に揉まれに行った様なもので、早々に退散したそうです。弘法さんもいまや観光の大資源になったようです。 げにブ-ム:京観光 とは恐ろしきもの。

2008年12月18日 (木)

嵐山花灯路

16日夜に夜廻りをしました。学区内を数ブロックに分けて、ブロックごとに町内役員さんたちが交代で廻る仕組みです。私は今役員ではありませんが、仕事で帰りの遅い息子の代わりに参加しています。「火の用心チョンチョン」の拍子木を打ってましたので、終わってしばらくたっても手がホカホカしていました。さて「花灯路」です。高台寺あたりの東山の花灯Img_136140 Img_137840 Img_138440 路は,けばけばしさと混雑を予感しますので行きたいとは思いませんが、嵐山はコ-スを見ても風情が有りそうで、興味がありました。今年はもみじが遅くまで残っているとの事なので、「京都随一」とも言われる宝厳院のもみじの庭のライトアップを見るのを主目的に出かけました。庭にはまだ入った事が有りませんが、盛りの頃に、塀越しに見た紅葉の鮮やかさが眼に残っていて、是非訪れたいお寺でした。ヒョットして未だ残っているかと期待した紅葉は既に枯れていましたが、盛りを想像さすような写真も撮れましたので、添付します。時期に是非訪れたい思いが倍加しました。ここを出て、冬の嵐山を歩くには「熱燗」が必要ですが、向かいに湯豆腐の店があります。嵯峨豆腐で熱燗は乙なものです。 しかし京都の観光地はどこも少し高すぎるのが難です。しかしながら、料亭嵐亭、百人一首の時雨殿、宝厳院と続き、向かいに「嵯峨野」なる湯豆腐屋があるこの地は私の好きなポイントです。さらに足を延ばして、川沿いに近衛さんの旧別荘辺りまで歩けば、昔の嵐山を感じられます。その後、野々宮神社から竹林の小径を通り、大河内山荘の横を過ぎ、常寂光寺、落柿舎まで歩きました。写真はお寺の庭、竹林のライトアップ、落柿舎近くの道です。竹林辺りまでは人が大勢いましたが、その先は静かに歩けました。度々歩いている路ですが、ぼんぼりの灯りに照らされて歩く夜の路は心休まります。自分が楽しんだ後で言うのは理屈に合いませんが、対岸の嵐山まで強力な光を届けるような大げさなライトアップには一体どれだけの電力が消費されるのか心配になります。

2008年12月15日 (月)

芋焼きの焚き火

土曜日:お爺ちゃん焚き火しよう!の孫の声に応えて、予定を代えて竈で焚き火。 お目当ては勿論焼き芋。この時期はもう枯れ木、枯葉はあらかた処分しているので、材料不足。正月には取り替えるので、早めにすだれを外して燃料にしました。アルミ箔に包んだのと、裸のと二つ焼きましたが、私はやはり直か焼きが好きです。 煙の匂いがしみこんで乙な味です。 昔の味です。夜はいまや恒例のクリスマス会。親しい仲間だけに話し尽きず、午前様。 日曜日:朝から年賀状の準備。 写真入原案を決め、PCで印刷を完了。 後は宛名印刷とコメント書き込みだけなので先ずは一段落。 夜は「防犯推進委員会」の恒例年末夜廻り。一緒に廻るお巡りさんが、証拠のためか、集合写真を撮って帰るのには笑えます。急に冷えてきて、手袋をしてなかったので寒かったです。今日からは学区の消防と防犯の呼びかけ夜廻りです。私は明日当番。 年内に三回廻ります。あまり寒い日の無いように祈ります。以上京の下町の年末の一風景です。さて今夜(月曜日)仕事を終えてから嵐山に行きました。Img_134840 12日から「花灯路」がはじまっているので、遅まきながら今年一度見るつもりでしたが、Img_136840 休日にいけなかったので今夜になりました。渡月橋と嵐山のライトアップの写真を添付します。私のお目当ては「宝厳院」の庭ですが、落柿舎まで歩いた「花灯路歩き」は次回に続いて書きます。

2008年12月12日 (金)

初めての洋式便所

昭和30年代初頭のころを今、古きよき頃、郷愁を覚えさす頃のように取り上げられていますが、一方でどんどん生活様式が変わり始めた頃です。電気掃除器、電気洗濯機の出現は、主婦の重荷を随分軽減しました。電気冷蔵庫が出てからは食生活が変わりました。TVの出始めの頃の話はよくメディアで取り上げられますね。私は相撲放送をラジオでよく聞きました。大関、横綱が出る頃にラジオの前に座り込んで聞きました。栃若等が名勝負の典型でしょうが、私は「吉葉山」が好きでした。強いのに弱い人でした。TVとは違う「のめりこむ」ような面白さが有りました。一方レコ-ドの変遷には首をかしげます。SPからLPへ、さらにどんどん変化。古いものはなんの値打ちも無くなりました。いまだに続く変化ですが、これを文明の進歩と呼んで喜んでいいものかいつも気になります。好きで集めて聞いていた、家内の結婚前の多くのレコ-ドが、捨てる気にもなれ無いのでしょう。いまだどこかに残っている筈です。大学四回生の時に慶応大学でインタ-ゼミがあり、我々も討議に参加しました。ゼミ全員で大いに俄か勉強をしたものです。泊まったのは東大駒場にある「一高同窓会館」。あとで、鎌倉や観音崎灯台なども回ったりしているのでもう一泊したのかとも思いますが定かな記憶はありません。おんぼろの一高同窓会館ではありえないので、もうひとつの宿?での出来事だとおもいます。トイレから帰ってきた友の話に驚き、笑いました。 はじめて見た洋式トイレの使い方がわからず、困った実況談です。ポチャンと落ちるたびに、お釣りが跳ね返ってきたそうです。まともな座り方とは反対に座ったのでしょうか。ドア-の方に向かって座るわけは無かろうと思うのが、当時の日本人としては真っ当な考え方でしょうね。たんびたんびにお釣りが跳ね返って往生したそうです。「小」の方はどうだったのでしょう。その話は思い出せません。昭和33年の秋から冬にかけての頃の話です。年寄りにはなかなかなじめない代物なので、普及はぼちぼちの歩みでしたが、
日本人から「痔」の苦しみを除いた功労者です。 私も昔苦しめられたのが嘘のようです。しかし出始めの頃は陶器製でした。我家で導入したころも陶器製でした。プラ製中蓋など無かったようにおもいます。 厳冬期には、あまりの冷たさに、両サイドに手を置いてその上に座ったのを覚えています。仕事関係で使用する便所にはいまだに陶器製のが残っています。「小オンリ-」で使ってるので別に支障はありません。先日書いたガラス壜もプラ容器に変わったのでしょうが、便器も今はプラ製。プラスチックが生まれてからはあらゆる面で
生活が一変しています。便利になりましたが、環境面でいろいろ問題も生じていますね。
さて私はその頃に卒業し、来年は卒業50周年記念同窓会を母校で盛大にやろうと幹事さんたちが苦労してくれてます。振り返れば戦前に生まれ、まさにさまざまな事が有った時代を生きた事を実感します。 話題が話題だけに今回は写真無し。です。

2008年12月 7日 (日)

祇園丸山

昨夜の京都は零下二℃。 又寒くなってきました。毎年恒例の同業の親しい四夫婦の忘年会はImg_134440 、今年は今日:日曜日、「祇園丸山」で。祇園南町のお茶屋街の中にあり、庭などはありませんが、匠の味と、行き届いたもてなしで、京都有数の、知る人ぞ知る料理屋さんです。昼の料理とはいえ、我々のわずかな積み立て会費で、賞味できるとはつゆ思ってませんでした。帰るとき、仲居さんと共に板前さんも二人戸口で見送ってくれました。こんな事の積み重ねが評判を呼ぶのでしょう。祇園南町といえば四条花見小路の「一力」の角から南へ入る一Img_134240 帯ですが、夜の風情と違い、昼は観光客が大勢です。しかしなんとも無粋な事にどんどん車が入ってきます。狭い道にも入り込みます。 クラクションを鳴らされたりで、「伝統的風致地区」も台無しです。 歌舞練場の隣に場外馬券売り場があるからです。何かと規制のうるさい京都で、よりにもよって京都のど真ん中でよく許可されたものです。明日は大阪でゼミ仲間と「串」で忘年会。早めに仕事を切り上げて出かけます。 「師」でなくても、走りたくなるような気ぜわしい時期です。

2008年12月 4日 (木)

一斗?壜

早や師走、障子の張替えも今年は早々とすませました。庭の石洗いはもてなしの心といつImg_133940 か偉い人が書いてましたが、私も懲りずにやっています。大分手抜きをおぼえました。その際、縁の下に目が行く度に目に入るのがこの大きい壜です。一升壜を横に置いて写真を撮りましたので、大きさはお判りいただけると思います。戦前か戦後すぐかはわかりませんが、そのころから我家にあります。布地を扱う家業にはまったく関係の無い代物です。戦時中防火用の消化剤でも入っていたのかとも思いますが、それにしては大きすぎて、持ち運びがままなりません。 どなたかご存知ならば教えてください。この壜に玄米を入れて、擂り粉木のような棒でつついて精米するのが私の仕事でしたが、この壜が三つもあるので、
精米用に買った物とは思えません。 精米といえば、戦後しばらくはお米といえば玄米だったのでしょうか?配給されていたのは白米だったとも思いますが、いつも通り記憶はあやふやです。今の若い人は知らないでしょうが、私の大学時代も尚、米穀通帳が無ければ、原則として昼飯の丼も、カレ-も食べられませんでした。 我家に昭和42年の米穀通帳が
残っています。所帯主は私です。正式名称は「一般用米穀類購入通帳」です。引退で大騒ぎのO系新幹線が走っている時にまだ戦後の遺物が残っていたわけです。荒廃、復興、成長の複雑な世代を生きてきたもんだと思います。しかし、政治には活気がありました。昨今の、私があって、党があって、国無しのような政治家は早く消えて欲しいものです。

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