昔の遊び
飾り羽子板をもらったりしたので、昔の遊びを懐かしく思い出します。 今日で正月が終わるので少し書いてみます。女の子なら羽根つき、室内ではカルタや百人一首(勿論男の私もやりました)。正月に限定して言えば、男の子の遊びは凧揚げと独楽回し。 凧は後年主
流になったカイトではなく、長方形の紙と竹ひごで造られた単純なものです。これに新聞紙や和紙で尻尾をつけて飛ばしました。高く揚がり、安定を保つにはこの尻尾の長さや張り具合が大いに関係し、腕の見せ所でした。独楽は木製で心棒は鉄製でした。紐を巻きつけて地面に向かって投げるのが初歩。 紐が解き放たれる最後の瞬間にグット手元の方に引き戻せ
ば、独楽を自分の手のひらの上に呼び込めます。 廻る独楽を他の人の手のひらに移動さす事も簡単でした。孫が幼稚園で上面に絵を描いて持って帰ってきた独楽(教材です)は木製のものでした。へ-、今の独楽はこんなものかいな?と思い、昔のものは無いのかと探していたら、家内がどこからか引っ張り出してきました。 息子の時代に既にこの木製の物もあったようです。両方とも廻してみましたが、細かい芸が出来るのは鉄の心棒のものでしょう。木製のものは少し大振りです。鉄製の独楽やベ-ゴマといわれるものはまったく知りません。 土地土地なのでしょう。凧揚げといい、独楽といい、単純至極のものだからこそ、他人の技に負けじと創意工夫したんでしょう。結構夢中になりました。 正月休みはなんと言っても遊びまくる期間でしたが、一日には学校の式典に参加。二日は宿題の書初め! 嫌でしたね。 一日に学校から帰るときには、歌をもじって「年の初めのタメシとて、終わり無き世のめでたさを、”松竹(マツタケ)倒して大騒動! 後の始末は誰がする?」と皆で大声でわめきながら帰ったものです。しかし今の子供に比べて、よく遊びましたね。 子供は大いに外で遊ぶべしです。しかし今は狭い道路にも車が通ります。危ないと、親が外に出しません。 他事はさておき 遊びの達人の麻生さん!子供を外で遊ばすためにええ知恵出してください。さて今日は小雨が降り続き、特別の用もないので、ぶらりと「京都国立博物館」に出かけました。「京都御所ゆかりの至宝」展です。京都のお寺が御所の建物を譲り受けたり、美術品を下賜されたり、そのつながりの深さにいまさらながら驚きました。御所あり、皇室ありてこその京文化の一面を図らずも知りました。そういえば我家でも、昭和天皇の即位式〔御大典}で天皇が歩かれたという絨毯を毎年正月に出していました。いまはボロボロになっていますが、残しています。京は御所ありてこそ!か。



けて大いに遊ぶべしです。午後からの出発で、遅めの集合でしたが、宿に着くなり卓を囲むのは毎度のこと。組み合わせの合間に一度だけ温泉に入りました。夕食は土地柄 牡丹鍋を賞味。 夕食の談笑の後は又すぐ卓囲み。 終わったのが朝の四時半。夕食時の酒ビ-ルに続き、差し入れのウィスキ-のちびりちびりでさすが眠気が襲う。終わってすぐ布団にもぐりこみましたが、眼が覚めたのは、朝食時間の八時少し前。 心づもりしていた朝風呂と、朝の露天風呂は楽しめず。 何のために温泉宿に泊まったのか?しかし四時半までマ-ジャンをしていても、その後の日常生活になんの差しさわりも無いと確認できたのは幸か不幸か。年を考えな!といわれそうですが。 朝食の後、しばらく散歩して摂津峡を味わいました。 泊まった宿「河鹿荘」は渓流沿いとはいえ、市街地の一角。 高槻市外のはずれの感じでした。どんどん開発されていった結果でしょう。しかし宿から10分も上流へ歩くだけでまさに渓谷のたたずまいを堪能出来ました。様々な鳥の姿を見、鳴き声を楽しめたのはモッケの幸いでした。車でも京都からは近いので、桜、紅葉の頃には日帰りでもお勧めのポイントです。摂津峡やここから少し京都寄りのポンポン山は、京都の小学校の遠足の定番地だったように思いますが、なぜか私には摂津峡に遊んだ記憶がありません。摂津峡:一名摂津耶馬溪は一度訪れたいところだったので嬉しい二日間でした。 昨日(20日)仕事で通りがけに見た東寺境内に、屋台が沢山並んでいました。弘法さんも観光ポイントになったので、前日から屋台が並ぶのでしょうか?
るそうです。衣笠小学校の前に写真の作品があります。「都大路の風になれ」の文句がいいですね。わが小学校も、下京区の予選を勝ち抜き、2月の本戦に出るそうです。さて15日は小正月です。ところによりどんど(左義長)が今でも行われるらしいですね。 小正月が成人の日になり、成人の日が15日から切り離されたので、幼稚園や学校の子供たちは参加できません。 かかる行事は子供も楽しいし、喜ぶでしょう。成人しても懐かしく思い出すでしょう。何時までも続くというよりは、どんどんにぎやかに復活して欲し




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