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2009年2月28日 (土)

西院

嵐電でも阪急でも四条大宮の次が西院です。嵐電では「さい」と呼び、阪急では「さいいん」といいます。大学に入った頃、高校時代の友人達とよく飲んだのがこの辺りのホルモンの屋台でした。雑然とした町でした。 今もその趣はありそうです。少し懐に余裕があるときには東(木屋町、先斗町、祇園)にもたまに出ました。東にも「裏寺」など安いところもありました。東の方に下宿している、大学時代の友人達と飲んだのは、このあたりです。西院とはなんぞや?の私の永年の疑問が氷解しました。先日梅宮大社へバスで出かけましたが、
西大路四条(=西院)にある高山寺というお寺の門前に「淳和院跡」の石碑があるのを見つけました。家に帰ってから調べてみました。淳和院とは淳和天皇の離宮で、東にある御所に対して、西院と呼ばれたそうです。昔読みでは「さい」。今風に読んだら「さいいん」です。時の前後のことは早くも忘れてしまいましたが、この辺りが「西院の河原」だったそうです。死体を置く、葬送の場所だったそうです。後年、その場所はは今の京都駅辺りに定められましたが、子供の亡骸はなぜかその後もここに置かれたそうです。「サイの河原」とは私は「賽の河原」と理解していましたが、正しくは「西院の河原」だそうです。「一つ積んではーーー」の地蔵和讃でもそうなっているそうです。平安時代、朱雀大路を挟んで、東が左京。Img_151340 西が右京でした。その後、左京は発展したが、右京は元気をなくし、荒地か畑地になってしまいました。さすが千年の古都:その変遷振りに驚きます。しかしながら、我家の近くに、平安時代の貴族「櫛笥(くしげ)太夫」の住まい跡と確定できるらしい住居があります。ちゃんと人が住んでいます。 通りの名は太夫にちなんで「櫛笥通り」です。平安時代の名は「櫛笥小路」です。今日、春の陽気に釣られて孫達と梅小路公園に行きました。写真は公園のしだれ梅です。ここの梅園ももう少し年を経れば素晴らしいものになりそうです。

2009年2月24日 (火)

梅の名所 梅宮大社

Img_150340 Img_149440 21日に梅宮大社の梅を観に行きました。この地の梅津一帯は今は工場地帯ですが、平安時代からのゆかりの宮が鎮座しています。あまり訪れる人も無く静かですが、梅の名所です。かきつばたの頃にも訪れたいところです。梅の種類が多く、早咲き、遅咲きなど様々で香りにむせるような一斉咲きではありません。百人一首の「ゆうざればかどたの---」はこの神苑の景色を詠ったものだそうです。この地の梅津の名からして、梅の里であったろう事は想像できますが、この梅津は桂川を挟んで対岸の桂とともに、平安王朝貴族の別荘地であったそうです。対岸には松尾大社があり、その隣が嵐山です。左に行けば桂離宮です。こちら側を右に行けば小倉山や大覚寺がある嵯峨です。松尾大社はお酒の神さんですが、この梅宮大社もお酒の神さんだそうです。酒造会社の奉納も多いです。松尾神社の隣にある料理屋さんで宴会をした時、出てくるお酒の銘柄が多彩、あちらこちらのお酒がありました。 奉納されたもののお下がりなのでしょう。ここからあまり遠くない太秦にも、
大酒神社という神社が有りますが、こちらはお酒の神さんではないようです。さて梅津といえばトロバスに触れぬわけには行きません。トロバスとは正式にはトロリ-バスです。大宮と梅津を廻るバスです。 環境問題を随分早く先取りしていた電気バスです。四条大宮から四条通を西に向かい、梅津でUタ-ンします。バスの上にある電導の棒を道路脇に構えられた電線に乗せ、電気を取り入れて走る電気バスです。ガソリンエンジンの響きも無く、線路の継ぎ目のゴットンゴットンも無く、まったく静かな乗り物でした。理由は知りませんがいつの間にか取りやめになり、今は普通のバスが走っています。梅津はバスの運賃上からも市内の西の端です。 この先は郊外運賃を加算されます。四条と梅津の間に西院があります。嵐電では「さい」といい、阪急では「さいいん」と言います。 これも書くつもりでしたが、あまりに長くなるので又書くことにします。

2009年2月21日 (土)

冬は鍋

この不況で家庭での鍋料理が増えているそうですが、我家でも以前から冬は鍋が多い家で食べたり、この辺りのお店で戴いたりする鍋を思いつくままに書き上げます。鶏すき、饂飩すき(鶏)、水炊き(鶏)、豚しゃぶ、鴨鍋、すき焼き(牛)、牡丹鍋(猪)丸鍋(すっぽん)、寄せ鍋、ちゃんこ、沖すき、土手鍋(牡蠣)、鱈ちり、河豚ちり、鮟鱇鍋、クエ鍋、石狩鍋、ハリハリ鍋(鯨、今は鰤)、蟹すき、鯛蕪、鱧しゃぶ。鍋でおでんをつつくも良し。我家特製の洋風おでんは私の好物ですが、手間がかかるので、最近は滅多にありつけません。 ロ-ルキャベツとジャガイモ、人参などのス-プ鍋です。お手軽にして私も大好きなのが「じやじや」。ハリハリ鍋の変形です。じゃ-という音から来る名前でしょう。 材料は水菜とお揚げとちくわのみ。削りかつおを入れ、醤油をたらすだけです。さて先日思いがけず、ぐじの鍋に遭遇しました。 鍋というよりはぐじしゃぶですが、ぐじは身がばらつきやすいので、少し厚めに切ってありました。名はしゃぶながら実質は鍋風でした。切り取った頭を焼いてだし汁に入れるとだし汁が絶品になるようですが、確かに美味だし汁でした。この頭を入れImg_150140 るだけで、鍋一面に油が浮いていました。 淡白な味が売りのぐじの身が、すごい油を抱えているのをはじめて知りました。 確かに美味では有りましたが、やはり「ぐじは塩焼き」の思いを越えませんでした。若狭の一塩のぐじと笹かれいは京都で最高の味覚でした。 さばとともに名にしおう若狭物です。しかし今は、さば街道を運んでくるわけでなし、 市場を通して流通します。はてどの段階で塩が打たれるのでしょう。「一塩もの」のいい響きも今は死語でしょうね。写真は今日の午後訪れた「梅宮大社」の梅の一つです。

2009年2月17日 (火)

高校野球優勝旗

大阪の孫に続いて、14日に京都の孫の幼稚園発表会がありました。場所は、お隣さんとでも言うべき場所にある、同系統の平安高校の講堂でした。 講堂とは言うものの、固定式席があり、音響効果も考えられ、二階席もありました。ちょっとしたコンサ-トホ-ルです。身内からの手を振っての声援に応えているうちに自分の出番やセリフを忘れる子が居たり、笑いを誘われます。しかし全員しっかりと練習が出来ていて、舞台に負けていませんでした。爺馬鹿ではなしに、わが孫も然り(こういう言葉を吐くのが究極の爺馬鹿なんでしょうが)。Img_148940 わが学区の町内対抗のソフトボ-ル大会は、学校の校庭が狭いので、よく平安高校のグランドを借りて行われます。私もこのグランドには選手として、選手を卒業してからは応援にと、何度と無く来ています。しかし、校舎に足を踏み入れたのは今度が始めてかも知れません。 記憶がありません。 校舎の扉を開けてすぐ、沢山のトロフィ-や盾や、表彰状が眼に飛び込んできます。今は中学から男女共学の進学校ですが、昔はなんと言っても野球などで有名な男子校。高校野球の何度かの全国優勝の優勝旗が光っています。北京オリンピックの大田選手の制服が寄贈されて飾ってもありました。他にも、柔道、ゴルフなど多彩です。何回か書いていますが、私の夏は若狭和田の海と平安の甲子園に尽きますので、感動の飾り物に出会う事ができました。能登出身の初代以来、先祖は皆ガチガチの門徒(浄土真宗信者)で、祖母も京女の一期生、叔父も平安学園出身でした。私も本願寺幼稚園に入ったらしいが、アカンタレだったのですぐ登園拒否だったそうです。この町内自体が元は西本願寺の寺内町ですが、私自身は平安学園とは縁が無く、小学校から大学まで公立でした。

2009年2月13日 (金)

「O」不動産

簡保の宿の一括売却方法が問題ありといろいろ話題になっています。ニュ-スを見聞きすると、相手の「O」不動産なる会社が、なんだか いかがわしい会社のような印象すら受けます。さて問題は京都です。我家の近くの梅小路公園に水族館を作る話が持ち上がっている事は前に書きましたが、市長も推進派のようで、識者達の審議会も賛成の意向を表しているようです。構想を少し知っただけでとんでもない話と私は思います。海水を遠い海から運んでくるのか、人工的に海水を造るのか、どちらかのようですが、使った水はまた真水に戻して流すそうです。採算が合う合わぬの話以前にとんでもない無駄話です。隣の大阪にある「海遊館」の半分くらいのスケ-ルらしいが、ものめずらしさの客が一巡すれば、館内はガラガラ状態!を想像します。本物の水族館を味わいたいリピ-タ-は大阪に赴くでしょう。地方の観光客を呼べるとも思いません。 構想には駐車場は入っていず、京都市に頼むとか言われていますが、こんな事で公園の規模が縮小されたらたまりません。梅小路公園は周囲に森やせせらぎを作っていますが、主体は広い広場です。 芝生が生えているだけです。家族づれが遊んだり、団体演技の練習があったりします。この広域をどう使うかの問題が起きた頃は私も若かったので、野球のグランドが欲しい、サッカ-のホ-ムグランドになるもまたよしと思いましたが、今は現状に満足しています。何の危険も感じる事無く、青少年が走りまわり、戯れあう場所です。ここに、この水族館構想を持ち込んだのがこの不動産会社です。京都市から土地を賃貸する計画のようですが、簡保の問題が起こってからは、何かこの会社が土地習得とかの裏の魂胆があるのではとかの思いがよぎります。親会社の「O」は私が商社勤めをやめて京都に帰った頃に出来ました。私より少し若いある商社の人が、アメリカにはこんな商売があると会社に持ち込んで、自ら立ち上げたいきさつはよく承知しています。若いのにあっぱれと感じました。リ-ス業です。リ-ス業で伸びるのは万々歳ですが、以後ダボハゼみたいに触手を伸ばし、成長を志したのが、かの君にも、会社にとってもいいことだったのか?  「成長とは何ぞや」「成長とは本当に必要不可欠なものか」は焼酎が体に無い時に一回考えてみたい、書いてみたい命題です。私企業然り、国家然り。しかしながら、知識乏しく、頭の回転も思わしくない身には難題です。
時あたかも大難事。 眼眩まし的口説で幻想を振りまき、いずれ米国民が幻滅を味わいそうなオバマ流もいかがかと思いますが、この時期に選りにもよって、ASOUのSがHに代わりそうな指導者を頂いているこの国のテイタラク。嘆きたくなりますね。

2009年2月10日 (火)

商都のど真ん中に

8日日曜日に、朝から大阪の下の孫の幼稚園に行きました。発表会(昔風に言えば学芸会)です。幼稚園児ともなれば春、夏などの休みくらいしかこちらへは来られないので、孫達と接する少ない機会です。わが孫が当然お目当てですが、これくらいの年の子の舞台はImg_148040 面白い。 ひょうきんな子あり、度忘れする子あり、ついつい笑ってしまいます。写真はこの幼稚園の畑です。ブロッコリ-が出来かけていました。大根も大きくなっています。一人ひとり名札を付けてもらって育てています。こんな景色を見ると嬉しくなります。そのあと 家に立ち寄り昼食を頂きましたが、娘がお土産にとパン焼器でパンを焼いてくれ、出来上がるまでの間に周りを散歩しました。 すぐ近くに「聖マリア大聖堂」という大きな教会があります。細川ガラImg_148240 シャと高山右近が洗礼を受けた教会だそうです。建物の正面左側にガラ
シャ、右側に右近の像が建っています。その先には、細川邸跡があります。ガラシャの壮絶な最後の地です。この辺りが戦国時代から続く地とわかります。 ごく近くに二つの大きい学園もあり、閑静な地です。 商都大阪のど真ん中にこんな閑静な地域があるのに驚きます。 夕方に帰宅して「大文字駅伝」の録画中継を見ているうちにまどろんでしまいました。 地域のTVとはいえ、小学生の競技をTV中継するのに驚きました。それだけの歴史と取り組みがあればこそでしょう。左大文字に始まり、船、妙法の麓を走り、最後は大文字を見ながら鴨川を走る設定です。コ-ス設定と名付に感心します。小さい子がどれだけの負担に耐えられるのかはまったく知識外ですが、その問題さえクリアされていれば、子供達がこんな事に熱中するのは大賛成です。 子供達よ走れ、遊べ! 外で遊べ!!

2009年2月 8日 (日)

梅一輪一輪---

Img_147840 梅一輪一輪ほどの--と言いますが、我家の庭の奥にある、日当たりが悪くひょろひょろの梅の枝にも開花の兆し。昨土曜日に庭に出てみて気が付きました。 それまで葉一枚も無く、まったくの枯れ木状態だったのに、二輪の花に誘われて近づいてみれば蕾が沢山付いていました。春や春 も目の前です。夜は孫の誕生祝い。一番下の孫も二歳になりました。 二歳ともなれば男だけに、今までの女の孫三人とは違います。 手荒いので物がよくこわされます。 どことなしに仕草にひょうきんさを感じます。よく私の前で両手をつきます。寝転んでいようが、座っていようが座りなおしたり、立ち上がったりして相手になります。勢いよくぶっかって来るとたまに倒されます。本職と違って、しっかりもろ手をついて立ち上がります。どうも私が教えたようです。パソコンのマウスやキ-に興味深深で、いたずらの期待にニコニコとさわりに来るので、防戦も大変です。孫が二歳、私が来月で七十二歳。70の開きがあります。 一昔前の感覚なら曾孫の年です。今でも子供や孫が少し早く結婚していたら、これくらいの曾孫がいてもおかしくありません。しかし年の差をまったく感じずに戯れています。一日中孫の顔を見ない日は何か忘れ物をしたような気分に成りますが、ほぼ毎日寝る前にママに連れられて「お休みなさい」といいに来て、二人の孫がしばし相手になってくれます。今日は朝早く起きて、大阪行きでした。 幼稚園児の孫の発表会です。今日は京都市の小学校の「大文字マラソン」の日でもあります。書けば長くなりそうなので、日を改めます。

2009年2月 4日 (水)

丸鍋

Img_147240 二月になりました。 節分はいつも厳しい寒さの中ですが、やはり立春。 旧暦では正月、七草など。やわらかい日差しに春の訪れを感じます。「金のなる木」も今年は一杯花が付きそうです。裏庭の花壇にはだいぶ日が当たるようになりましたが、私の領域の畑は隅に追いやられているので未だ当たりませんが(都会では周りに建物があり、一面に日が当たるのは夏のみです)ぼちぼち、夏野菜の前の菜物の種撒きの準備に入らねば。ところで二日の私の夕食はかの「すっぽんの大市」のお土産のス-プです。確か300年ほどの歴史のある老舗ですが、昼、夜通してMENUはただ一つ「丸鍋」とあとの雑炊のみ。庶民的な値段の店もある中で、ここはとびきり高く私も足が向きません。。 こだわりの養殖、コ-クスを使っての高温調理、秘伝のス-プなどそれなりの理由は有るのでしょうが高いですね。 京料理を代表するある老舗でも、名物の丸鍋が付けばたかいです。それでも客が途絶えないのだから、それなりの事があるのでしょう。値打ちのわかる人だけが来てくれればいいとの、京都の商いの代表でしょう。こだわりがブランドになっていくんですね。私が未だ若い頃に、錦の川魚屋さんで売っていたすっぽんを買ってきて(勿論お店で捌いてもらいました)すっぽん鍋とすっぽんス-プに挑戦した事があります。レシピの紙切れに従い、大きい鍋に一升壜のお酒をすべて流し込み、具を入れて煮込みました。なかなかの秀逸物が出来て親父が喜んで飲んでいましたが、使った鍋を何遍洗剤で洗っても洗っても、油がテカテカと残りました。結局鍋は捨てたんでしょう。そんな事も有ろうかと古い鍋を使いました。以来やっていません。こんな事も高額の一因かも知れません。 このテカテカがコラ-ゲンなんでしょうが、丸鍋(素焼き風の土鍋)ならこのテカテカが残らないのかとも思います。丸鍋とは、底が浅く、平べったい土鍋ですが、すっぽん用に考えられたものなんでしょう。丸鍋がすっぽんの鍋の代名詞になった所以でしょうか。

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