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2009年4月28日 (火)

稲荷祭

今この辺りは稲荷祭りのさなかですが静かなものです。全国の稲荷神の総本山の伏見稲荷大社の祭りです。19日に東寺の近くにある「お旅」に五つの神輿が来て、5月3日にお帰りになります。稲荷祭りの範囲はすごく広範囲なので、今はトラックの上に神輿を載せてのパレ-ドです。我々も氏子ではありますが、何時近くを神輿が通過したのか判らない時があります。 私も一度、裃を着けて、トラックの上に乗ったことがありますが、あまりに広範囲なので結構疲れました。但し26日には五つの神輿がそれぞれ、その関係地域を錬ります。この日は少し賑やかで、私もよく拝ませてもらうことがあります。すべてのの神輿が集Img_164240 合時間を合わせて、七条大宮の交差点でやる辻回しは迫力があります。これも私の唯一度の経験ですが、みこしの後をやはり裃を付けて歩いた時、時間に遅れそうになり、神輿ともども急がされたことがあります。しかし今年は、外出から帰ったときに丁度その時間だったので見に行きましたが、一基だけの辻回しでした。大阪方面や名神への車でいつも渋滞する場所なので、時節がらそうなったのかも知れません。小雨模様だったので、見物人も多くありませんでした。やはり本番はお帰りの5月3日で、家内も二日からさば寿司作りに精を出します。今年もするようです。この祭りの間、神輿はお旅に安置されますが、私の小さい頃は店がたくさん出て賑やかでした。 子供が小さい頃に一度連れて行ったときは淋しいお旅でした。しかし又今、お旅の賑わいが少し戻ってきています。またまたパソコンで急遽仕入れた知識ですが、稲荷祭りは「平安遷都以来不遇をかこっていた秦氏の御霊を鎮めるために、藤原一族が始めた」そうです。その稲荷神はもともと、秦氏の私的な信仰でありましたが、なんと東寺の守護神でもあるそうです。稲荷信仰は空海との出会いにより、真言密教とのつながりによって広く普及したそうです。東寺のすぐそばに「お旅」が有るのは、御霊が故郷へ帰るような趣があるのでしょう。今話題の「YOU TUBE]で昭和10年の稲荷祭りの動画を観ました。パソコンはますます、便利な、重宝な器具になってきますね。

2009年4月23日 (木)

沈滞と代謝

選挙対策のためらしいバラマキが一層大規模になって来ましたが、程度の低い施策もたくさんあるそうです。言ってもしょうがないとの諦めからか、どこまで本気なのかの疑問からか、金額の大きさに対して、国民の反応は冷え冷えしているように見えます。20年後を見据えた「低酸素革命」とのたっまっているらしいが、命がけで取り組む決意は全く通じてきません。予算をつければそれで良しというものでもあるまいと思います。「先祖がえり」とも言うべき、たちの悪いばら撒きがよみがえっているようですが、近未来の日本国よりは、近近の選挙のために貴重なお金を使って欲しくはありません。 既に実行された定額給付金、高速道路割引もどこまで経済に寄与するのかとんと説明がありません。 これらの施策のために、いよいよとんでもない規模の国債が発行されますが、当然消費税UPがその条件でしょう。雇用問題も改善せず、収入も増えない若い人々に、増税だけが襲い掛かります。まこと由々しき事態です。京都には「技術を売る」企業がたくさんあります。これらの会社は政府の助けを借りず、自力で頑張っています。 したがって選挙では自民党でなく民主党を堂々と激励しています。こんなところにお金をつぎ込んでも、票には結びつきません。 しかし、 こういう会社と手を携えて、環境グリ-ン技術で世界を席巻することこそが日本の生きる道のような気がします。小沢問題で民主党は元気が有りません。今見えてきている範囲で私が思うところでは、巨額とは言え全部入出金は明らかにしています。犯罪では有りません。Img_163240 政党支部の名において個人が企業献金を堂々と受けられる姑息な仕組みこそが問われるべきでしょう。小沢さんに献金するのに企業の名前を出したくないという、商売上の思惑から出た、西松サイドの偽装問題でしょう。何らかの勢力の、マスコミをうまく使っての小沢追い落とし作戦が奏効しています。今小沢さんがすべきことは、巨額の資金を受け取ったことに対して、国民にもっと説明することです。そして謝ることです。その上で「どうか、何とか政権の転覆をさせてください。政権が変わり、次の指導者に党首を引き継いでも大丈夫と思ったらすぐに私は去ります。 それまではどうか党が決めた上で党首でいることにどうぞご理解ください」と支持者、国民に深く頭をたれることです。尤も国民がそれは嫌だといえば早く止めるしか仕方ないでしょうが。政権の交代のない限り、官僚の跋扈は消えません。この辺で一日の焼酎の許容範囲をだいぶオ-バ-しました。政治経済の沈滞を他所に自然界はいま元気すぎます。桜のあとの花々も過ぎ、今つつじが盛りです。木々は新緑です。しかしその足もとには、おびただしい枯葉が一杯です。あまりに早すぎる新陳代謝です。

2009年4月20日 (月)

走り庭の食器棚

寝転びながら腰椎体操などをやっているうちに、腰の具合もだいぶ良くなって来ました。中年に差し掛かった頃から腰のだるさや軽い痛みは常時。 腰椎体操をして凌いできましたが、いつの間にか痛みも忘れるほどになり、軽い腰椎体操もしなくなっていたので今回のImg_163040 騒ぎになりました。腰を労わるためには、腹筋と背筋の強化が必要ですが、肝心の腹筋の力が相当衰えていることを今回思い知らされました。だいぶ良くなって来たら早速休日の 大仕事が舞い込みました。裏庭に出る大戸の開け閉めが出来ない。 猫が入るので困る:いそいで直して欲しいと。鴨居の上にレ-ルがあり、大戸の上部についている車輪がレ-ルをはさむ仕組みになっています。 下部は隙間があまり空かないように、回転独楽で抑えて有ります。 ガタガタやっているうちに、上のレ-ルから外れたようで、またレ-ルの上に乗せるのが一仕事。相当な重さです。次いで、外れてしまった回転独楽を元のところに埋め込むのが一仕事。一応直したあとも腰があまり痛まなかったので幸いです。走り庭に大きい食器戸棚が二つも据え付けられています。戸の開け閉めが難しくなってきている; とよく大工仕事の注文が来ます。食器棚の大きさを測ってみたら一つが270cm。どうしても上部中央が撓んで下がってくるので、部屋の襖や障子の様にやはりImg_162940_2 開け閉めが出来にくくなります。これが二つありますが、中はガラクタが殆どです。キッチンにはちゃんと食器入れがあります。入れ物が有る限り中身は減りません。何かと私の大工仕事は減りそうにもないので、やわな弱音を吐いてもいられません。今裏庭はまさに花盛りです。 リラの花房だけがうまく垣をこえて香りをただよわせてもくれます。西洋しゃくなげも真っ赤な花をつけています。写真は面白い花ですが、名前は知りません。

2009年4月16日 (木)

なぜ桜か?

早くも桜のシ-ズンは終わりを告げようとしています。三月中ごろからの開花予想に始まった桜喧騒も済んで見ればほんの一瞬でした。なぜかくも桜、桜なのでしょう。4月11日の朝日新聞「BE]に詳しい解説的一文がありました。それらをふまえて少し考えて見ます。ソメイヨシノが作られて以来、各学校に桜が植えられて、桜の下の入学記念写真は永らく風物詩でした。海軍兵学校然りです。 ただこの学校の桜が「同期の桜」で「咲いた花なら散るのも一緒、見事死にましょ国のため」とうたわれ、遠い昔の西行の「桜の春に我死なん」
とともに、桜に「散る」「死ぬ」イメ-ジが付き纏いました。いまや戦争、戦死も遠い昔の話になり、ただただ豪華な桜の花見を謳歌しようとなったような気がします。 今年になってより顕著になった気がします。新聞などに載る写真。 友人達からメ-ルで送られてくる写真はいずれも豪華さを競います。豪華な桜が出来たのはソメイヨシノのク-ロンが簡単に出来て、各地に植えられたからです。桜は水面に枝を伸ばすので、河川、湖、お堀等にもってこいです。絵になりますね。しかし ただただ豪華を追い求め、ちらちら舞い落ちる風情はさておいて、豪華な花筏、花絨毯が好まれます。デジカメ全盛の今、このほうが絵になるからでしょう。カメラとともに花見も変わる;の感もあります。常照皇寺の桜は私の知らぬ間に、上手く代替わりしましたが、円山公園の桜は衆人環視のもとでどうするのでしょう。あまり老醜を見せない工夫をお願いしたいです。さてなぜ桜か。 私は「ちらちら散る」風情がいいのだと思います。いろんな花は盛りを過ぎるとすぐ わくらば(病葉)ならぬ、わくら花
になり、無残な姿を曝しますが、桜は散っても尚生き生きと風に吹かれて舞い上がります。水面では花筏になります。極めて単純な結論で申し訳ありません。青いシ-トを敷いての宴会も春の風物詩でしょうが、私は好きではありません。歳をとれば「酒は静かに」ですが、若い頃はわたしも桜の下で飲み喚いては居りました。重労働と雑草引きで腰を痛めて、花盛りの裏庭に写真を撮りに出る気が起こりません。したがって今回も写真なしです。 辛い一日を終えた後は、寝転んで腰を休めている日々です。

2009年4月12日 (日)

みだれ髪の一首

こう暑くては桜見物もたまりません。見るのを止める代わりに、人はなぜかくも桜に酔うのかを考えてみることにしました。そのことはいずれ近いうちに書きます。今日の主題は「清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよい逢う人皆美しき」です。祇園、高台寺、清水辺りの春の混雑には100年前のこの詩の影響が非常に大きいと思います。みだれ髪が発刊されたのが1901年ですから、この詩が出来たのは少なくとも108年以上の昔の詩です。京都の観光振興に寄与大です。皆がよく知っていて、判りやすい詩なのであまり解説もなく、先日の新聞紙上でのある歌人の解説にも「人が皆綺麗に見えるのは私の心が浮き立っているからでしょう」とありました。私は???です。 月夜とはいえ夜の道:人の顔の美醜は定かならず。 夜桜をみてそんなに心が浮き立つでしょうか。 それは一緒にいる人によると思います。 そんなわけで、しばらくネット上をナビして調べて見ました。1900年8月に関西に来た鉄幹は晶子に出会い、二人は意気投合したらしい。二人は京都で遊んだらしいが、このときは恋敵の山川登美子も一緒だったとの記述もあります。親の勧めで結婚した登美子が離婚してまた鉄幹のもとを訪ねています。10月には鉄幹と結婚する晶子もこの時は心やすらからず、ではなかったかと。二人の美醜は私は知りませんが、負けた想いが珍しく自らを卑下して「みな美しき」となったのではないかと考えたくなります。感受性の鋭い鉄幹がこの詩を見て、自分を恋焦がれる晶子の心情をよく理解したのではないかと思われます。みだれ髪は恋の成就の詩集にあらず恋焦がれる思いの詩集であったとの記述に出会い、意を強くしています。芭蕉の名句「古池や蛙飛び込む水の音」なんて駄作:私でも出来ると思うほどの詩歌音痴ですが、私説にも一理有りかと急遽ブログにUPすることとしました。 お笑いください。

2009年4月11日 (土)

強制疎開

堀川にささやかながら清流が戻ったと書いたブログを見て、知人からメ-ルが届きました。
戦時中まで堀川通りに住んでおられた方です。概略は「我々の住まいは、有無を言わさず取り壊され、住人に綱を引っ張らせて家を倒させられたという悲しい記憶があります」「今小生の本籍地の上を多くの車が疾走しています」です。 あの「強制疎開」の被害者です。突然に無償で立ち退きを強制され、家を壊すのも手伝わされます。焼夷弾による火災で京都市が全焼しないように、火をさえぎる空間を作るためです。市内に数箇所ありますが、代表的なのが今の「堀川通」「御池通」「五条通」です。私の友人も五条通りの家を立ち退き、そのまま今も郊外住まいです。 私の家の鬼門の一角は別棟になっていますが、その狭い住まいに父の知人一家(総勢十数人)が移り住んできました。堀川通には風呂屋さんをやっている貸し家がありました。其処の立ち退きのため、名前や数字の入った柳行李の脱衣籠が我家に長く残っていました。他にもいろんなものがありましたが、だんだん処分され、Img_162240 いま往時を思い起こさせるものは何も残っていません。この無法的強制の歴史は当事者の記憶にしか残っていないでしょう。先日ある会でこの話をしたとき、私よりわずか五歳ほど下の人たちが、このことを全く知らず、補償がなかったのにびっくりしていました。集団疎開のこともあまり知らず、軍歌なんて全くご存知ありませんでした。もっとも男性は、疎開跡の土の山で遊んだ記憶のある人が多いです。ほぼ同世代と認識している人達とのあまりの断絶にまこと驚きました。後数年もすれば、あの忌まわしい時代のことを知る人はほんの一握りになってしまうのでしょう。よく統制の取れた、懐かしき、美しき邦であったと、時の為政者に賛美され、また忌まわしい国に変わっていくことのない様願うのみです。今日は夏のような暑さ。桜でもあるまいと庭に出ました。裏庭はチュ-リップ、花にらなど花盛り。 庭の奥のほうには今シャガが賑わっています。雑草引きで汗をかきましたが、雑草にもよく見れば綺麗な花が付いています。三つ葉の花ほど小さくは有りませんが、小さい小さい花の一つです。

2009年4月 7日 (火)

東山の桜

五日日曜日、高台寺の土井で高校のクラス会。12時開宴なので早めに家を出て、祇園かImg_161040 ら桜を愛でながら歩きました。とはいえ愛でたのは人、ひと、人。八坂神社の境内は祭りでもないのに、道の両側に屋台がずらっと。境内を抜けて円山公園に入れば先ず目に入るのが、枝垂れ桜。三春の滝と人気を二分するほどの天下の名桜ですが、桜守の努力にもかかわらず、老齢から来る衰えは隠しようがなく、久しぶりに見た人は、枝枝がが先を斬られ、花も少なくなっているのを見てびっくりしています。高台寺への道は「ねねの道」などが出来て、昔を知るものにとっては全くの様代わりです。観光地といえばいずこも同じでしょう。人を避けImg_161240 ながら歩きいて行き着いた高台寺の枝垂れ桜は小さい乍ら綺麗でした。写真は塀の外から撮ったものです。あの土井でクラス会とは!とびっくりされるでしょうが、今邸内に「不急館」なる建物が出来、少し手軽に宴会が出来るようになっています。 もてなしも丁寧で、初めての私は満足でした。 総勢20人ほどの半数近くを占める桜は姥ならず、年々若返るお化け桜です。いつも楽しい会です。夕刻 孫を連れて、大きな荷物を二つも抱えて大阪へ帰る娘を、息子の運転で始発の出町柳まで送り、電車に乗せました。 途中の市内から乗ったのではとても座ることが出来ないどころか乗車さえおぼつかないこの日でした。出町柳の鴨川の河川敷にもシ-トを敷いて音声高らかに宴会をしている若者グル-プがたくさんいました。桜はなぜ斯くも人々を酔わせるのか?はなぞの一つです。桜の下の宴会は歌の違いこそあれ、老若それぞれにぎやかです。昨夜は伊賀焼きが届き、品評会で盛りあがって来ました。

2009年4月 5日 (日)

炮烙で炒る

春休みなので今孫が来ています。今は子供たちだけで遊べるので私は楽です。食べるものや寝具の準備などで家内はそれなりに大変でしょう。ご飯前のマンマンさんも今は子供達だけでやります。 私は座って拝むだけ、まったく手抜きのおまいりですが、子供達は家内がするように、ロウソクに火をつけ、お香をくすべ、おりんをならして、数珠を手にします。家内は毎日花の水を代えますが、花は大概自分の育てた花。 花壇は全く仏事用とさImg_159940 え思われます。皆マンマンさんが好きです。 さて、大阪の孫が「おじいちゃんのかやくご飯が食べたい」と可愛いことを言ってくれます。釜で炊いて出来るおこげが美味しいらしいです。しかしながら4日はどこかへ皆で出かけることにしており、5日は私は高校のクラス会があるので期待に添えません。 そこで考えました。子供達も喜び、しっかりお爺ちゃんを印象付ける料理は!!。 正月のお餅を切って干してある(目的はオカキ)のを細かくほぐし、ほうらくを取り出して、あられを作りました。ほうらくを見て「なにこれ?」といっていても、実際に炒りだすと得心。少しやらしてやりました。 出来立てのあられImg_160340 は好評でした。「ほうらく」は壬生狂言では生きていますが、一般社会では既に消えている道具でしょう。パソコンでも漢字はすぐには出てきません。写真は永年使い込んだ我家のほうらくです。文化財的味わいを感じます。あられ といえば、炒るよりは、油で揚げて塩を振り掛けるのが我家一家の大好物でした。一度又試してみたいと思いますが、油制限、塩制限に固まっている家内の許可が出ません。昨4日は雨になったので、琵琶湖湖畔の「琵琶湖水族博物館」で遊びました。琵琶湖の魚を主に、世界中の淡水魚がいます。チョウザメの餌やりなどに出会い皆大喜びでした。写真はサメ水槽の中でも小さいほうに入る部のサメです。確かチョウザメの筈です。 今は5日朝、私はこれからクラス会です。帰ったらまた静かな家になっていることでしょう。

2009年4月 2日 (木)

京の水辺

京都市には海や湖が無いので、水辺といえば川になります。代表的な水辺は嵐山(桂川)と鴨川です。自然の川です。近年整備が進み綺麗になってきています。さて29日に堀川にささやかながら清流が復活しました。堀川は平安京造営の際に木材を運搬するために、自然の川を改修、開削したといいますから、歴史的には随分価値のある川ですが、昭和30年代に水源を絶ち、水がなくなりました。さらに広範囲には、地下に閉じ込められてしまい、P13908041 道路の一部になりました。確かに堀川はすぐ溢れる川で、わが母校、堀川高校の
正門辺りも、よく水がたまり、水溜りの上をあのチンチン電車が走っていたとは、記憶のしい友人の言です。今回清流が戻ったのは御池通までです。 御池通に市営地下鉄が通り、四条には阪急の地下鉄が通っているので清流の延伸は無理なのでしょう。我家近くの西本願寺の「掘」も堀川から水を採っていたと思いますが、今は空堀です。台風のたびに堀が溢れそうになるのを嬉しそうに見に行っていた子供時分が懐かしいです。写真は友達が送ってくれた新清流です。水量が管理されているので、子供達の水遊びにも適しているでしょう。 江戸時代の角倉了以の高瀬川、明治になっての疎水や白川。人工的に造られた川が今京都の景観に大いに寄与しているのを、改めて感じます。岡崎の疎水では今、屋形船遊びが出来るらしいので、桜目当てに賑わうでしょう。南禅寺の水路閣から流れている哲学の道も蹴上疎水からの分水です。人工的河川です。銀閣寺辺りで暗渠に流れ込む辺りの花筏は素晴らしい景色です。しかしながら鴨川沿いの疎水はなくなり、京阪が地下を通っています。これも復活は望めませんでしょう。堀川は私の記憶の中では紫色の川です。近くの友禅染めの人たちが糊を落としていました。排水溝からは余った染料が流れ来たんでしょう。「友禅流し」といえば言葉はよろしいが、かつては確かに汚い川だったんでしょうが、今は下水溝が整備されているので、京都の川は綺麗です。こうなると失われた川の存在が大きいです。蛇足ながら京都では自然の川は北から南に流れますが、疎水(分水)は自然に逆らって南から北へ流れます。はるか遠く北区まで流れます。私はこの仕組みがとんと理解できません。

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