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2009年5月29日 (金)

卒業50年

27日に時計台の下で、山紫会の卒業50周年記念同窓会があり出席しました。京大経済34年卒なのでもじって「山紫会」。その50周年記念総会です。先ずは京大近くの清風荘見学。Img_171740 西園寺公望の京都別邸として使用された建物ですが、いろんな関係から今は京大の持ち物で一般非公開。写真からお解り頂けるように植治の庭です。総会は時計台下のホ-ル。Img_172040 京大卒のプロバイオリニストという変わった経歴のお嬢さんの演奏というおまけつき。かわい子ちゃんでTVなどにも出ているそうです。現学部長の特別参加もあり賑やかな歓談の場でした。二ヶ月に一度の大阪山紫会の昼飯会には殆ど出席できませんが、5年に一度の総会には欠かさず出ています。百余名の参加なので各人とユックリの話はできませんが、誰とでもすぐ昔に戻れるのが嬉しいです。 お前のブログを見ていると声を掛けられて赤面の思いも数回。 思わぬ人が見てくれています。二次会は鴨川近くの「京大会館」貸切。すべて含めて幹事さん達が一年位前から会合を重ねて取り組んでくれたそうです。参加者は関東はじめ日本全国から。ほんの数人のご夫人連れを除いて殆どが単身参加。 単身でホテルに泊まって一人での夕方のぶらぶら歩きが良かったという人がたくさん居ました。かつての安酒屋を探した人。美味かったうどん屋が未だそのまま残っていたという人などなど。夕暮れの寺町(二条~三条)をぶらぶらし、こんな京都にずっと住み着いているお前がうらやましいという御仁も。翌日はゴルフのグル-プ。奈良の太子道を歩くグル-プなど皆元気そのものです。年齢的におそらく最後の総会かとの幹事さんの挨拶がありましたが、この分では55年も見込めるかもと思いました。皆さん現役時代は日本の高度成長をバリバリ引っ張り、日本を背負って立った人ばかりですが、皆うまく遊び心を生み出して、今の生活を謳歌しているのがわかります。 もっとも、体調を崩しているので今回は参加できないとのコメントが多くあり、健康の有難さを実感します。総会の最後は、恒例:肩に手を廻しあっての吟歌三つ。 「逍遥の歌(紅萌ゆる---)」「琵琶湖周航の歌(我は湖の子---)」は皆さんご存知でしょうが、「月見草」は三高、京大関係者だけが身内で歌うんでしょう。四国松山から 花の都(京都)に出で立ちた君が、学びの路にいそしみ過ぎて死の影に。「取り残されし乙女子は 京に上りて東の空に月の出づる頃 君逍遥の跡に泣く」(9番)なんとも身勝手な、又男なら誰しも一度は夢に描く悲恋の想像歌です。当時流行った歌の替え歌のようです。延々11番までありますが、私もその年齢の時には、皆で、又一人でよく口ずさんだ歌です。

2009年5月26日 (火)

新緑ドライブ

24日:日曜日、新緑を愛でるドライブに出かけました。行き先はおなじみの若狭和田浜。
最近の孫達との海水浴行きには高速道路を使うので、久しぶりの昔懐かしい道を通りました。往路は途中越え: 大原、花折峠、途中峠、朽木、上中経由です。子供達が小さい時には、三つの峠を越えましたが、ぐるぐる廻る峠越えは砂埃との戦いでした。 冷房なんて気の利いた物はないので、窓は開け放し:砂埃が窓から舞い込みました。 今は道も舗装され、トンネルで簡単に。 途中越えとは道幅も狭く、すれ違いに難儀し、峠越えもある、難所の代名詞みたいな道でしたが、今は道幅の拡張、バイパスの設定、トンネル開通でスイスイ道になっています。花折にはその名も花折という鯖すし屋さんが何時のころか突然出現しました。いまや京都高島屋地下やその他数店の出店が京都にあります。鯖街道の名が大いに寄与したんでしょう。 今、右に倣えとたくさんの鯖寿司やさんが出来ています。かつては、探しても見つけられなかった「熊川宿」がいま観光名所になっています。大分有名になってきた、鯖街道人気にあやかっての、急造、手抜き名所の感あり。 今春訪れた「関宿」はその点たいしたものでした。帰路はもう一つの鯖街道:小浜から南川沿いに走り、美山、周山、高尾などを経由します。やはり昔に比べて、運転しやすい道になっています。 反面 、川端康成の「古都」の象徴の中川地域は通らなくなっています。知らぬ間にバイパスで通りぬけてしまいました。往路の安曇川、帰路の南川はいずれも鮎つりの名所。 時期ならば竿が並びます。朽木から保坂への林道は杉山を切り開いてできた道なので、両側とも杉、杉、杉。帰路の高尾辺りでは、昔通りに道幅が狭いので、紅葉の大木が空を覆います。その他道中全般で緑を浴び、若狭の海で清澄の空気を吸い、全く気分爽快のドライブでした。先日通った賀茂街道の桜も空を覆いました。新緑ドライブは人も少なくお勧めです。

2009年5月21日 (木)

白山と立山

17日に孫を連れて、契約栽培の豆の収穫に植物園の北に出かけました。既にスナップエンドウは盛りを過ぎ、えんどう豆をたくさん採ってきました。 去年は葵祭り当日だったので15日ですが、スナップエンドウが盛りでした。二日の違いで今年は大分様子が違います。 気候の急変に途惑った今年ですが、総体的には去年より暖かくなっているのでしょう。昔の番頭さんの息子さんが今、半ば趣味的に嫁さんの実家の農業を手伝っています。というより、自分で作って直売所で売っているようです。楽しそうです。売れ残りが有った時などにわざわざ届けてくれます。畑で完熟した野菜はどれも美味です。今はほうれん草です。 販売能力以上にどんどんできるそうです。ス-パ-で売っている様なものよりはるかに大きいですが、いかにもほうれん草の味が感じられます。京都大原の朝市などは有名ですが、相当早く出かけないと駐車もできないとか。新しい形の農業が生まれつつあるのを実感しています  さて::友人に 内外を問わず旅の達人がいます。国内で訪ねるのは秘所、秘湯、混浴温泉。こだわりは菓子と銘酒。度ごとに素晴らしい写真と薀蓄を傾けた名調子の紀行文がメ-ルで届きます。今回はひるがの方面から福井、若狭等を巡りましたが、大野・鳩ケ湯への谷間からの写真が素晴らしい。谷間の先に見える山の名は?のある友の問いに、「当然白山でしょう」と横からしゃしゃり出ました。ご本人から「どこまで白山というのかは知りませんが、宿のおっちゃんは三ノ峰と言っていました」皮肉っぽくもやんわりと訂正メ-ル。二年前に白山登山したある友人のブログを見返しました。(頂上から)別山がはるか遠くに見えるとありました。地図を見れば三ノ峰はまだ先。ヤバイ!と早速お決まりのPC検索をしたら、白山三峰には入っていませんが、この二つを含めて白山五峰とも言うとの記述に出会いました。すべて承知の上でのやんわりメ-ル!習わねば!!です。 ところで白山にも立山にもその名の山はありません。連峰の総称です。二つの山ともに、弥陀が原があり(月山にも有るそうです)、室堂があります。信仰を求めて登ってきた人が、苦難の末にたどりついた先に、「阿弥陀経」そのものの花園に出合ったのでしょうね。室堂とは信仰のための宿泊施設の意のようです。弥陀ヶ原といえば立山の「弥陀ヶ原ホテル」ですが、木造の旧ホテルと生まれ変わった新ホテル。 両方ともに泊まった人はそうはいないだろうと秘かに自慢しています。歳の功です。風情をいえば勿論旧ホテルです。そういう方が多いですと、新ホテルの支配人が言っていました。旧ホテルに泊まってのんびり春スキ-を楽しんだ時、なぜか出てきたミスマッチ的ステ-キと炬燵布団が何時までも忘れられません。これが言いたくての我田引水。

2009年5月17日 (日)

ある時代の建物

週間ちゃんと仕事をすると結構疲れます。労働者なのでよく汗が出ます。歳から来る現象なのか、私独自の事柄か、この汗には悩まされます。 少し動くだけで汗が出ます。いちいち汗を流して、着替えをすればいいのでしょうが、度々は面倒なのでほっておくと必ずくしゃみや鼻水が出ます。たまには風邪ひき状態になります。悩ましい現象です。 15日には
葵祭がありましたが、我々の地域には全く関係がなく、単なる観光行事としか受け止められません。新聞であらましを知るだけなので、地方の皆さんの方がはるかに知識が多いでしょう。六年先に出番の順番が廻ってくる時代祭の入用に備えて、今年も各世帯100円のImg_170940 お願いの回覧板が学区自治連合会から廻ってきています。たいていの人の祭との係わりは、お金を出すだけということになります。愚痴や悪態だけでは様にならないので真っ当な話も書きましょう。 五条河原町で小学校の同級生がやっている散髪屋さんにはいつもは自転車で出かけますが、小雨模様だったので昨日はバスで行きました。東山通りの「馬町」で降りて西へ向かいました。 そのまま西へ進むと「国家安康」の釣鐘に行き当たります。 一筋北の渋谷通を西へ進むと写真の建物に出会います。日本でImg_171040 最初に煙草を製造
した「たばこ王」村井兄弟社の建物です。円山公園にあるゆかしい建物「長楽館」は有名ですが、これはたばこ王の別荘か何かであった建物です。その富を生み出した工場がここです。だいぶ朽ちかけてきていますが、ちゃんと当初の姿に修復して後世に残すべき建築と思います。ここを喫茶店にでもすれば、清水寺から流れて、ここで一服し、大仏殿跡へと向かう立派な観光コ-スが生まれそうです。ちなみにこの一帯は秀吉が大仏を建てたときの名残のような町名が残っています。石垣町、棟梁町、鐘鋳町等です。

2009年5月12日 (火)

嵐山高尾ドライブウェイ

9日;土曜日に夏野菜を植えました。孫の大好きなミニトマトときゅうりです。夏野菜とは言いませんがサツマイモの苗も植えました。先に植えたおいたジャガイモとともに、夏から秋にかけて、孫の喜ぶ顔が見られそうです。もっとも、狭い地に欲張ってたくさんの苗を植えつけたので、どの程度の収穫になるか少し心配です。 10日の日曜日には、息子家族とともに嵐山高尾ドライブウェイを楽しみました。我々老夫婦の新緑ドライブの希望と、息子家族達の目的の遊園地的遊び場との両願望をともに十分満足させる好企画になりました。嵯峨の鳥居本から高尾へ抜ける有料道路です。1150円です。ところどころに家族が遊べる施設が有ります。Img_169540 ささやかな幼児向きの遊園地で孫が十分楽しめます。傍には、遊歩道に添って、家族で弁当が広げられる場所やベンチがたくさんあります。秋の紅葉の頃や、何か催しがあるときは混雑するでしょうが、この時期は穴場です。道路も遊園地もよく手が入っています。私は40年以上ぶりなので、できた当時に比べて少し寂れているのかとの想いがありましたが、想像は外れました。ドライブコ-スには10箇所ほどの展望台があります。推奨すべきはやはり、保津峡展望台です。写真の上が亀岡方面です。画面では見えませんが、右下の落合で、清滝川と合流して、左下の嵐山方面Img_170540 へ川は流れます。かつても保津川くだりの船が見られましたが、今はトロッコ電車も見られます。画面左側の橋上でしばらく停車します。菖蒲谷池にはボ-トやいろんな乗り物が浮かび、釣堀もあります。吃驚したのはラジコンカ-のコ-スで大の大人がレ-スに熱中している光景です。テ-ブルの上に愛車とともに修理道具一式を並べ、夢中で何か作業しています。本物並みの緊迫レ-スも目にしました。10人どころの少人数ではありません。 初体験です。 北海道無銭的安旅行用に友人達とともにテントを買ったときには、嵐山からテントを担いで菖蒲谷に登り、池の畔でテントを片張りして、人の目をさえぎり、一升瓶を片手にヘタな演歌を放吟し合っていました。 いわば我々だけの秘密の場所でしたが、その場所がいまや、有料道路の中の集客ポイントになっているのには複雑な感がします。鷹が峰の沢池、木津川の流れ橋など昔は人の少なかった場所も、今は観光地になりつつあります。時の流れに身を任すべきでしょう。

2009年5月 8日 (金)

植冶の庭

連休最終日の6日に、歩くのと庭を見るのを目的に岡崎へ出かけました。先ずは無隣庵へ。Img_167240 連休最終日とあって、皆さんさすがに出疲れたのか、人も少なく静かにゆっくり庭の鑑賞ができました。雨模様との予報の所為でもありましょうが、実際は殆ど雨にあいませんでした。抹茶を頂きながら部屋からこの庭を眺めていると、有朋がしばしば訪れた気持ちが理解できます。次いで平安神宮の神苑を巡りました。杜若や睡蓮が見頃になっていました。光格天皇御遺愛の杜若との解説のある「折鶴」を運よく見られたのは幸いでした。まさに名の通りの涼やかな、風情極まりなしの花です。河骨(こ-ほね)という黄色い花も見ました。かかる名花や庭園の趣も、人がざわざわしていれば風情は半減しますが、誠に格好の日に訪れる事ができました。二つとも植冶の名作ですが、趣は全く異Img_168240 なります。無燐庵は芝生を配し、明るい庭です。降り立って癒しをもらう庭です。一方、神苑はやはり神社の庭です。訪れる人を楽しませようとの配慮を感じます。年年にいろいろ手が入っているのでしょうが、花や樹木の種類も多く、観光庭園としてはなかなかのものです。歩くのを目的と書きましたが、最近足腰の衰えを少し感じていますが、家内のいわく:敬老乗車証を利用するようになって以来、私の歩きは減っているそうです。市内なら出来るだけ車に乗らず、
バスに乗るように心がけているので、歩きは増えているものと思っていましたが、どこへいくのもバスで歩きが減っているそうです。我家から京都駅は25分、四条大宮へは15分。今までは歩いていましたが、言われてみれば今はバスです。払った一万円を取り戻すべく知らず知らず脳が命ずるのでしょう。 永年の貧乏暮らしから身についた処世です。元が取れようが取れまいが、できるだけ歩くことにしましょう。四条京阪から岡崎まで往復歩きましたが、足も痛まず、心地よい疲れを感じました。知らず知らずの恐ろしさを実感しました。家内に限らず他人様の目は必要と自戒の日でもありました。

2009年5月 5日 (火)

連休

ゴ-ルデンウィ-クの声を聞くと、折角のまとまった休み:この際どこか海外にでもとよく思ったものですが、昨今はとんとそんな気がなくなりました。人並みにETCの装置をつけ、カ-ドも手に入れていますが、まだ使ってません。 渋滞の予想を聞くと高速に乗っての遠出もしり込みします。 出不精になりました。 気力の衰えでしょうか。 そんなわけで今、この休みを家や近場で楽しんでいます。床の間には大将飾りが。 今年は天皇さん、翁、鷹、白馬などの天皇飾りの出番です。例年のごとく、柏餅を食べました。 1日の夕刻に大阪の一家が来て2日の夜に帰りました。二日は女三人総動員で鯖寿司作り。邪魔になる孫達を連れ出して遊ぶのが男三人の役目でした。なぜかくも!と思うほどたくさん造ります。 3日これまたたくさんの赤飯(おこわ)を炊きました。三段のセイロが久しぶりに活躍していました。家で未だ餅つきをしていた頃、おくどさんの釜の上と石臼とを忙しく往復していたのをImg_166240 思い出します。祇園祭が鱧祭りといわれるように、稲荷祭りは鯖(寿司)祭りです。なにごともそうであるように、祭りとは「主役は女」なりとの思いを一層強くしました。漸く食べ頃になってきたアスパラ菜と二十日大根をサラダ用に供しました。ミニトマトの味でも想像してか「赤い大根食べたいなあ」と言っていた二歳の孫はどんなに感じたのでしょう。特別嫌がってはいなかったそうです。昨4日は伊丹スカイパ-クに行きました。子供達がそこで合流して遊ぶのに誘われました。名神高速から中国道に入ったとたんに渋滞に巻き込まれました。今年は1000円渋滞に悩まされた人も多いでしょう。空港の施設の反対側に遊園地が出来ています。目の前で飛行機が離着陸する様は、その騒音とともに迫力があります。尤も子供達は飛行機そっちのけで、遊具に夢中でした。帰路大阪で
夕食にあずかりました。今日は端午の節句。今夜は離れで節句祝いに呼ばれています。

2009年5月 2日 (土)

因幡堂狂言

29日に因幡堂狂言を見て来ました。 烏丸松原に因幡堂平等寺という古刹があります。烏丸通りからちょっと奥まったところにあるので、気がつかずに通り過ぎる人も多いでしょうImg_164640 が、室町時代には広大な敷地を有し、境内で能、狂言の上演が繰り返し行われていたそうです。因幡堂ゆかりの狂言が五つもあるそうです。この地でまた狂言会を復活しようとの有志の努力により、復活して今年で三回目になるそうです。かつてこの地の近くに住んでいた、私の高校時代の友人達が「因幡堂狂言会実行委員会」の一Img_164540 員として張り切っています。その一人から今回案内を貰い、観に行った次第です。本堂の前の特設舞台で上演されました。人間国宝:野村万作の演ずる「鬼瓦」と新作が一つでしたが、ともにたっぷりと滑稽な面白さを堪能しました。わずか200人限定の狂言会なので、ありがたいことに、砂被りとも言えそうな近くで、人間国宝の演技とおしゃべり(対談)を見聞き出来ました。昨今、町家と称して、食べ物屋や土産者屋さんがどんどん出来ていますが、地元人としてはいささか鼻白む思いです。千年の歴史を持つ、このような本物の復活は嬉しくなります。
「時は身じろぎもせず悠久のまま、千年の古都」と歌う都はるみの唄が好きですが、この幡堂も平成15年に開山千年法要が催されたそうですから、京都でも数少ない千年の古刹です。

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