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2009年7月31日 (金)

もうしますー

昨日から大阪の孫達が来ていて賑やかです。四人も一緒だと、賑やかを通りこして、どの部屋も散らかり、荒れ放題です。ピアノ、本読み、トランプなど静かに遊んでいるときもありますが、屋外と同じように室内でほたえまくったりもします。今一番「ワルサ」が多いのが男の子です。引き出しから放り出す、所構わず書きまくる、本やCDを棚から引っ張り出す、紙は破り捨てる;;等々したい放題です。よく言われますが、男の子は女の子に比べどことはなしにひょうきんなので、怒る前に笑ってしまいます。パソコンのキーボード攻撃など困る狼藉の時は、腕をつねり「もうしません」と反復を待ちます。 返ってくる答えが、にたにたしながらの「もうしますー」。だんだん強くつねると、最後には堪えきれず「もうしません」。 しかし手を離せばもう又いたずら三昧。本気で叱る親に比べて、爺たちは叱りの限度を見透かされています。実は明日が家内の古希誕生日です。娘、息子夫婦達が設営して京都で祝宴を開いてくれます。それにかけて孫達が早めに泊まりに来ている次第です。この暑さ、この不況= あほらしくて商売やってられん気分です。商売をサボって、孫達とどこか涼しいところへ遊びに行きたい誘惑に駆られます。Img_182840 写真は私の好きな和田の海です。雨模様で人が少ない時の写真です。Img_183840 若狭富士(青葉山)は綺麗な姿をしています。この海が遠浅で、小さい子供達に持ってこい:がお解りいただけると思います。 孫達の花火風景もUPしてみました。浜での花火は見ているだけで心豊かになります。 ビールがあれば言うことなしです。早朝浜に出ると、多くの土地の人がゴミ拾いをされていました。「日本の海水浴場百選」は伊達ではありません。さて翻って、わが家族のみにあらず、子供や孫の世代にわが日本国はどんな未来を用意してくれているのでしょうか。選挙を控えての政策なるものが出てきています。 どれもこれも目先のばら撒きONLY。財源は国債か消費税。こんなまつりごとなら誰でも出来ます。政治家と言われたいのなら、もう少し未来を見据えて、真剣に考えるべきでしょう。

2009年7月27日 (月)

変調海水浴

25日(土)朝出発で、今年もみんなで若狭和田浜へ。天気予報はよくなく、道中すでに前の見えない位の豪雨にも遭遇したが、旅館に着くころには晴れ上がって、旅館の主人も見事な晴れ男ぶりにびっくりしていました。 早速浜でテーブル、パラソル、ミニテントを設営し、昼食。各自道の駅などでGETしてきたのを賞味して、後すぐ水遊び。二歳の孫も水を怖がらず、みなキャッキャッと遊んでいました。しかし残念ながら、予報通りの雨が降り出し、濡れたまま次の晴れ間を待つわけにもいかず、この日の遊泳を断念。 夕食前に子鯵釣りに出かけました。なかなかの釣果にみな大喜び。 撒き餌もせず、餌もつけずに、サビキセットだけで釣れるので、子供向きです。恒例;夜は浜での花火。Img_184840  度々話に聞いている蟹採りをしたいので、明日朝頑張って早く起きると上の孫。 打ち合わせた6時に起こされて浜に出ました。 大きくなればどんな蟹になるのか知りませんが、夜に海から上がり、波のかからない辺りに写真のような穴を掘って一夜を過ごします。 あくる朝は又海に帰っていきます。なかなか深い穴です。穴に沿って掘っていくと小さい蟹が驚いて飛び出してきます。ところがこの朝はすでにもぬけの空穴ばかり。 私は何回と無く経験してますが、そんなに早起きをした覚えが無く、訝って宿の主人に聞いたら、日によりますとのこと。 おそらく月の満ち干きによるのでしょう。朝の晴れ間は少しで、皆が泳ぎ始めて1時間足らずで又土砂降りになりました。少し待てばやむのは分かっていてもこう激しくては終了のやむなし。 さて撤収が大難事。パラソルの下に子供達を入れて先ずは浜茶屋へ。 暖かいうどんを口に入れて、今度は宿へ。なんといってもここは幅の広い砂浜で有名。 女子供全員の撤収作業は大変でした。Img_185440 パパ達は濡れついでと、雨中の施設撤収作業でした。すぐ風呂に入れるべく、宿へ引き上げる時、先ずはと、男の孫を抱いたママと下の孫二人をパラソルに入れましたが、後ろに廻った孫二人が命令通り、私の水泳パンツをしっかり掴んでいるうちに、おじいちゃんのお尻丸見えと嬉しがり、挙句は前まで露出寸前。 パラソルは両手でしっかり握らねばならないので声で叱るしか方法なし。 珍妙な格好で宿にたどりつきました。昼食を摂りに、小浜のフィッシャーマンズワーフへ出かけ、その後「蘇洞門めぐり」の船にのりました。甲板に上がった孫達も風、ゆれに驚きながらも、荒れる海を走り、水しぶきを跳ね上げる快速艇に満足したようです。本来梅雨明けの快適海水浴の筈が、各地を襲った豪雨と嵐に私達も遭遇しましたが、何か何時までも心に残るような体験を皆が味わった貴重な日日でもありました。

2009年7月23日 (木)

賀茂族と出雲族

20日の朝十時からNHKで「京都葵祭り 千年続く神事のすべて」という番組がありました。
関西だけでなく全国放送だったかと思うので、見られた方も多いでしょう。上賀茂神社と
下賀茂神社はやはり賀茂一族の神社だと改めて認識しました。一族の皆さんが千年前からの神事を昔と何変わらないように粛々と行われているのに驚きました。桓武天皇の平安京遷都の前に、京都には秦、賀茂、出雲族が住んでいたようです。広隆寺を建てた秦河勝で有名な秦一族は太秦辺りを支配した渡来人です。 広隆寺の祭りには秦、旗、羽田、波多など秦一族の有名人も全国から集参するのをこれもかつてTVで見たことがあります。 賀茂族と出雲族は土着民だそうです。 賀茂族の住んでいたのは両神社の辺りとは当然想像がつきますが、出雲族が住んでいたのは愛宕郡といわれます。愛宕郡とは八坂神社の
東一帯だったそうです。しかし八坂神社とも、地理的に正反対の愛宕神社とも関係あるようには聞いたことがありません。山陰の出雲神社とも関係は無いでしょう。 しかしやはり千年の歴史は連綿と続き、家系の連続がちゃんと認識されているようです。先だって、友人が初めてお会いした奥様を「出雲族ですねん」と紹介したのには驚かされました。我々のような一般家庭では百年前はともかく、Img_182640 二百年前となれば霞のかなたです。いわば新参者の天皇家が賀茂族に挨拶に出向く様が、神事の一つになっていることをこの番組で知りました。古代からの連綿と続く伝承を持っている氏族は日本全国にたくさんあるのでしょうね。
さて何回も書いている黄レンゲショウマも京都の気候に少しなじんだのか、今年は新しい茎が多く出てきて、又蕾も一杯ついています。しかし草全体に元気が無く、しおれ気味なのが気になります。暑さに負けず今年こそ開花を期待しています。暑さで弱ったわが心身の
癒しに今年も、25&26と若狭の海に浸かる予定ですが、今頃になって梅雨本番的気候になってきていて、天気が心配です。

2009年7月20日 (月)

京都ル-ツの老舗

堺町夷川にキンシ正宗のル-ツの酒蔵が「キンシ正宗堀野記念館」として残っていて、地ビ-ルブ-ムが始まった頃に、この酒蔵でも開発地ビ-ルが生まれ、私も度々訪れました。その酒蔵の壁に貼ってある町内の古地図に「白木屋」が書かれています。「白木屋」(後の東急百貨店)のル-ツです。高島屋は烏丸松原で木綿商として生まれ、戦後も其処にありました。大丸は伏見区で呉服商として生まれたそうです。 三井呉服店=三越も江戸での創業ながら京都で始めた両替商としての財力が後の三井財閥の基礎となったそうです。京都には確か800年を越えるほどの昆布やさんなど数百年の老舗がたくさんあります。時勢に合わせて方向転換したところもあり、昔から殆ど業態の変わっていないところもあります。百年の老舗などは数え切れないでしょう。 我家も約140年になります。しかし私は、永きが故に尊しとは思えません。京都に限らずいわゆる老舗の中には、商売の存続を第一にし、その元となる家庭というものをないがしろにしているような傾向も見られます。 男の子供には後を継がせず、跡取りは婿養子に限ると決めたり、跡継ぎが商売に口を出して、素人商法で店が傾くよりは、放蕩三昧でお金を使ってくれるほうがありがたいとか。 お茶屋さんの上得意にはこういう「ぼんぼん」が多かったのでしょう。番頭さんや、分家さんImg_182340 、別家さんたちの「主家大事」からくる悲喜劇を私もたくさん見聞きしました。 私も仮にも老舗の跡継ぎになりましたが、老舗も普通の家庭;基本は家庭の円満にこそある。と思いそのように動いてきました。「継続は力なり」は確かに真理ですが、それも程度問題です。人間性を無視したような家訓やしきたりを紹介し、したり顔で非人間的経営論を言うエセ評論家は糞食らえです。祇園祭りはまだ続いています。写真は15日のものですが、あの辺りの商家の祭り風景でしょう。表の道から覗き見できるのは祭りならこそです。

2009年7月16日 (木)

新町の変貌

宵山の混雑を避けたつもりで、昨夕歩きました。仕事を終えてから、高島屋で買い物をしていた家内と落ち合い、新京極を北進。 三条寺町の「田毎」で蕎麦を食べて、姉小路を西へ。「新町」の宵山風情を楽しむつもりが、Img_181740 手前の烏丸まで来ると既にただならぬ気配。
屋台特有の臭いが溢れ、人、人、人でした。狭い新町通りも両側に屋台が並び、人が溢れ
前へなかなか進めません。かつてのように商家に屏風が飾られているのかも定かならず、
ただただ無理やり前へ進むことのみに専念する始末。挙句は「北向き一方通行にご協力ください」と警察官に遮られ、進路変更。ある商家らしい家で、舞妓さんや芸妓さんも加わっての和やかな集いの様を覗き見られたこと、写真の松坂屋さんが例年通り、屏風と家宝を展示されていたことが汗と疲れの代償でした。京都とは無関係の松坂屋さんが昔の京都を色濃く残されているのに比べ、新町は死んだと思えるほどの変貌を見ました。 町家保存の名のもとにでしょうが、白い壁の家に変身し、小間物屋さんや食べ物やさんになっているところが多いのに吃驚しました。昼間に歩いたらどんな新町になっているのか、想像するだけで嫌になります。松坂屋さんとはあの松坂屋さんの京都での仕入れ本部として生まれた店のようです。 京都は白木屋、三越、高島屋、大丸等の発祥地でもあります。こんな事と私の「老舗論」をまた書きます。

2009年7月12日 (日)

町衆

来週の日曜日には、小学校で「親子三代フェスティバル」なる催しがあります。毎年ある行事で、自治連合会やPTAなどの主催です。いわばコミュニティ-主催です。今年は小学校140周年記念とチラシにも書いてありますが、淳風小学校が出来て140年、下京区が出来て130年、京都市が出来て120年の節目の年です。あの動乱の幕末の頃に、町衆が力を出し合って創った寺小屋が学校の出発点です。国の未来は子供達にかかっていると、取り組んだのでしょう。この町衆の伝統がこの地域にはいまだに続いているように感じます。今また京都は祇園祭一色の季節ですが、この祭りも疫病を鎮めるのを念じて町衆が始めた祭りだそうです。さて今、自民党政治が終わり、民主党が取って代わる勢いですが、Img_181140 民主党が政権をとってもそうたやすく官僚支配を打ち砕く事は難しく、政権投げ出しもありでしょう。そのあと又自民、官僚政治に戻ったのでは元も子もなし。 心ある自民、民主などの勢力が集まり、本格的な脱官僚の政党が生まれることを期待します。グロ-バル主義の馬鹿らしさが露呈した今、コミュニティ-時代が始まろうとの期待が私にはあります。コミュニティ-時代とは町衆の時代です。 先ずは税金を十分の一くらいに減らして、地域の運営は地域に任せてみればいいでしょう。真夏の白昼夢も系統だった理論の組み立てがあれば正夢たらん。 写真の三階建ては今日日曜日は戸が閉まっていますが、今尚現役のタバコ屋さんです。

2009年7月 9日 (木)

京都市下京区

今 離れの戸口に小さな七夕飾りがあります。毎回思う事ですが、これほど季節感とかけ離れた行事も少ないでしょう。 牽牛、織女のロマンスや天の川の輝きはいずこにあるのでしょう。子供達が季節を感じ、自然を知るのに大いに害が有るとおもいます。何もかも旧暦でとは言いませんが、かかる行事は本来の時期に行われるようにすべきでしょう。 さて、京都市では町家調査が行われていますが、中京区辺りが先ずは中心でした。 中心地から離れている我家辺りまでの調査はないものと思っていましたが、逐次範囲を広げていて、近じか わが学区にも調査に入るとのチラシが入っていましたが、その調査予定の日が過ぎても何の音沙汰もありません。もともとこの辺り(下京区)は京都市でももっとも古い地域で、我家の近くにも立派な町家がたくさんありました。しかし殆どが今無くなり、駐車場なんかになっています。 町家保存のための調査なら遅きに失していると思います。慶応三年に京都府がおかれ、その京都府に、明治12年に上京区と下京区がおかれました。明治22年にこの両区が「京都市」となり、府の管轄下におかれました。 したがって下京区の歴史は京都市の歴史より十年も古いのです。後年 上、下が割られて真ん中が中京区になりました。 下京区と中京区の境は今の四条通り辺りですが、両区の境は大変入り組んでいます。Img_180940 京の町家の一つに三階建てというのがありますが、我家の真近くに誠に古い三階建てが今も健在です。歴史的建造物として保存されるべきでしょう。三階建てとは、むしこ窓、総二階(我家はこれです)などと共にれっきとした往時の京町家です。あまりのも身近なので写真がありません。 近いうちに撮ってブログに載せましょう。実はたくさん出来ているのに、なかなか赤くならなかったプチトマトがヤット色づいてきました。もぎ取りたくてたまらない孫達もこれから楽しんでくれるでしょう。

2009年7月 4日 (土)

松枯れと大賀蓮

今日は西大谷へ墓参。両親の命日がこの頃に重なるので毎年の行事です。庭の散髪に来てくれている植木職人さんを置いたまま出掛けました。先ず目に入り吃驚したのがこの松。Img_180140 長い枝を四方に伸ばし、趣のある松でした。お彼岸に来た時は青々としていました。花屋さんで原因を聞いてもImg_179940 ??らしいです。 近くで工事が行われているのでその関係かとの話も有るようですが。 一方、大谷本廟では今、大賀蓮が綺麗Img_180040に咲いています。「大賀蓮」とは二千数百年も地中に眠っていた種から、大賀博士が花を咲かせたものです。その子孫の蓮を、九州の門信徒の方々がここに寄進されたそうです。日ごろは小さくて何もない池もこの季節には賑わいます。 ハスの蕾にトンボがとまっていました。よくみる赤トンボと違って、塩からトンボでした。この季節にトンボとはといぶかりながらカメラに収めました。植木 職人さんは毎年同じ人が来てくれます。 暑いので私がサボっている雑草引きも、してくれて五時頃まで頑張ってくれていました。綺麗にさっぱりして、涼やかな庭になりました。さて裏庭では、黄レンゲショウマの蕾が大きくなってきています。今年こそは開花してくれるかと楽しみです。何か命にかかわる話題ばかりになりましたが、永田町のあの命は嵐の前のともし火の様です。 いまや壁になってくれる人もなさそう。未来に大変な問題を残して消え去るようですが、もともと生まれ出づる命ではなかったのでしょう。

2009年7月 2日 (木)

葭戸

一昔前までは、京の町家ではどこでも夏は葭戸に代えていました。京の夏を代表する風物詩の一つだったでしょう。エアコンなる文明の利器が出るに及んで、その必要が薄れ、しきたりや昔のたたずまいを守ろうという一部の人たちだけがいまだ続けているようです。私のある知人は葭戸の部屋でク-ラ-生活をしています。葭戸でも冷気は外へ逃げないそうです。以前この八月でブログを打ち止めにしようと思うと書きました。懐かしき京都を書き続けるよう;町家での暮らしやしきたりをもっと書き残すよう;とか二、三のかたからメ-ルなど戴きました。ありがたい激励ではありますが、やはり寄る年波に逆らわず八月で止めようと思っています。図らずも葭戸を取り出すことになりましたが、昔京都に居られた方などには懐かしいものかと思います。孫達が面白がって触ったり、引っ張ったりするので、簾の糸が切れたりするのではと危ぶんでいます。 しかしもう二度と出さないかと思うので、このブログに残るこImg_179140とは嬉しい事です。この葭戸の包み紙には縁先の四枚と書いてあります。 縁先とは庭側の縁側を言います。 したがって庭側にはめる事となります。しかし我家では何時の頃からか、縁先には簾をかけ、反対側に葭戸をはめています。 各家でそれぞれのようです。人の目をどう遮るかなど、家々の都合によるのでしょう。しかし私は簾は絶対に縁側に掛けたいです。いつか日本に住まいする、高名のアメリカ人建築家の「縁側の思
想」なる本を紹介しましたが、その哲学にも通じます。中間に坪庭があり(我家ではここが応接間になっていますが)、商売をしている店の表の道側のガラス戸も、人目を遮る簾戸をはめ込んで開け放すので、極めて風通しがいいのが、本来の京の町家です。葭戸は何も京都の専売特許ではありませんが、この町家造りによくマッチしています。7月に入るとともに、京都も梅雨前線真下です。この蒸し暑さと湿気には葭戸や簾は対応できません。ク-ラ-に頼りたいですが、仕事の汗をシャワ-で流し、 ビ-ルを飲んで対応しています。

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