京都市下京区
今 離れの戸口に小さな七夕飾りがあります。毎回思う事ですが、これほど季節感とかけ離れた行事も少ないでしょう。 牽牛、織女のロマンスや天の川の輝きはいずこにあるのでしょう。子供達が季節を感じ、自然を知るのに大いに害が有るとおもいます。何もかも旧暦でとは言いませんが、かかる行事は本来の時期に行われるようにすべきでしょう。 さて、京都市では町家調査が行われていますが、中京区辺りが先ずは中心でした。 中心地から離れている我家辺りまでの調査はないものと思っていましたが、逐次範囲を広げていて、近じか わが学区にも調査に入るとのチラシが入っていましたが、その調査予定の日が過ぎても何の音沙汰もありません。もともとこの辺り(下京区)は京都市でももっとも古い地域で、我家の近くにも立派な町家がたくさんありました。しかし殆どが今無くなり、駐車場なんかになっています。 町家保存のための調査なら遅きに失していると思います。慶応三年に京都府がおかれ、その京都府に、明治12年に上京区と下京区がおかれました。明治22年にこの両区が「京都市」となり、府の管轄下におかれました。 したがって下京区の歴史は京都市の歴史より十年も古いのです。後年 上、下が割られて真ん中が中京区になりました。 下京区と中京区の境は今の四条通り辺りですが、両区の境は大変入り組んでいます。
京の町家の一つに三階建てというのがありますが、我家の真近くに誠に古い三階建てが今も健在です。歴史的建造物として保存されるべきでしょう。三階建てとは、むしこ窓、総二階(我家はこれです)などと共にれっきとした往時の京町家です。あまりのも身近なので写真がありません。 近いうちに撮ってブログに載せましょう。実はたくさん出来ているのに、なかなか赤くならなかったプチトマトがヤット色づいてきました。もぎ取りたくてたまらない孫達もこれから楽しんでくれるでしょう。


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